学校管理下にあった児童74人と教職員10人が、東日本大震災の大津波にのまれて犠牲になるという、世界でも例のない惨事を起こした石巻市立大川小学校。連載第6回では、私たちが情報開示請求を行った結果、文科省が大川小の惨事をほとんど把握していなかったという事実を紹介した。あれから2週間余りのち、ようやく文科省が動きだした。8月19日、平野博文文部科学相が、初めて大川小の校舎周辺を視察し、遺族の声に耳を傾けたのである。
2日前に突然飛び込んできた
平野文科相による視察の知らせ
Photo by Yoriko Kato
それは、電撃的な情報だった。
「19日、平野文科大臣が大川小を視察に来る!」
そんな知らせが突然、児童の遺族たちの耳に入ったのは、訪問のわずか2日前のことだ。
「大臣は、遺族との面談を望んだのに、遺族側が“大臣と話すことはない”と断ったらしい」
加えて、そういう文科相サイドの情報も駆け巡った。
「真実の解明を求めている遺族には、誰からも面談の意思の有無を確認されていない。いったい誰が、話すことない、なんて言ったのか!」
いぶかしんだ遺族の1人は憤慨して、市教委に確認に行った。しかし、市教委では、「そういう話は知らない」と否定したという。
こうした情報がどこから流れたのか、真意はわからないが、当然のことながら、遺族側も遺族会の会長を通じて、平野文科相と話のできる時間が設けられることになった。
当日朝、平野文科相はまず石巻市役所を訪問。会議室で、亀山紘市長や県教委、市教委の幹部との意見交換に臨み、こうあいさつした。
「大川小学校におきましては、行方不明者も含めて74名の尊い命が奪われ、教員10名も犠牲になった。しっかりと受け止めて対応しなければならない。また防災教育のため、この悲しみをしっかりと検証したうえで、教訓として生かしていかなければいけない。これから教育委員会での取り組みを含めて、意見交換をさせていただき、1日も早く、被害者の方々の思いを共有し、検証していく。ぜひ現場を訪問して、我々文科省としても、バックアップしていきたい」
この後、メディア側は会議室を締め出され、文科省側と、亀山市長や県教委、市教委側との意見交換が1時間近く、密室で行われたという。