そして私は、吉永氏とその家族の話が大好きです。

 まだ、男女雇用機会均等法のない時代、大卒の女性の職場は限られていて、「親のコネがなければ教員か公務員」という時代でした。吉永氏の娘さんが「お父さんには、どこか頼めるところはないの?」と何気なく聞いたところ、「私は、そういうことをしてはいけない職にある」――そう言ったものの、娘には悪くて仏間にずっとこもっていたというのです。検事総長という立場は、それほど、責任と使命感が必要です。

 黒川検事長の賭け麻雀は論外ですが、そんな責任感のない人物ほど、永田町から見れば安全な人物。国民は常に警戒すべきなのです。

冬の時代を迎えた検察
捜査を潰し続けた政治の思惑

 現在は「安倍一強」政権と言われます。かつてはロッキード事件で逮捕されながら、田中角栄の派閥が膨張し続け、行政府としての法務省に圧力をかけ続けていました。この時期を、「検察、冬の時代」という人たちもいました。

 そんな実態を初めて明らかにしたのが、1987年12月。『文藝春秋』に掲載されたノンフィクション作家、真神博氏のレポート「特捜検事はなぜ辞めたのか」でした。辞めた検事とは、のちに許栄中との関係により石橋産業事件で逮捕・起訴され、有罪となる田中森一氏です。

 1986年、大阪地検特捜部から東京地検特捜部に異動。最初に注目を浴びたのが撚糸工連事件で、贈賄側の理事長を取り調べ、政治家との繋がりを自供させて、東京でも注目されるようになります。

 しかし、その後の検察はまた沈滞します。田中氏が内偵捜査をしていたのは、三菱重工CB債権事件。三菱が転換社債(CB)を発行、1000億円の社債のうち100億円を発売前に政治家に販売し、その後社債価格は2倍になり、政治家たちは懐を潤します。後のリクルート事件とまったく同じ構図だったのに、捜査の手が及ぶことはありませんでした。

 検察幹部が、法律系雑誌に「法的に逮捕は難しい」という論文を書くなど、大阪特捜育ちの田中氏は、「政治家の影がチラつくと『天の声』が降りてきて捜査ができなくなる」と愚痴を言っていました。