もっとも、そうした状況を久保自身も織り込み済みだったのだろう。開幕前のキャンプを経験していないマジョルカでポジション争いを制し、武者修行を積み重ねて実力を付け、日本代表に選出されればスペインと母国とを行き来する日々も待つ慌ただしさを、誰よりも久保自身が待ち望んでいた。

「実力が伴っているから選んでもらっていると思うので。チャンスがあれば自分の最大限のプレーをして、それをどのように評価してもらえるか。自分が選ばれている理由というものをピッチの上で見せ続けていくことで、自分の力で(現状を)変えていくしかない、と思っています」

 こんな言葉を残したのは昨年9月。マジョルカで初出場を果たした直後に森保ジャパンに招集されたタイミングとあって、メディアからはこんな質問も飛んだ。「今回はマジョルカに残って、新天地におけるコンビネーションを磨いた方がよかったのでは」と。久保は毅然とした口調でこう答えた。

「それをここ(代表チーム)でどうこう言っても何も起きないですし、ここで自分がいいプレーを見せることが、少しでもプラスになればいいかなと思っています」

不自由なく操れるスペイン語が武器に

 待望の初ゴールはマジョルカでラ・リーガ1部出場10試合目、昨年11月10日のビジャレアル戦で生まれている。直後にフル代表ではなく、東京五輪世代となるU‐22代表の一員として帰国した久保は、やや意外に聞こえる言葉で初ゴールを振り返っている。

「やっぱり数字で結果を残さないと、心ない言葉とかも見えたりするので。そういう意味では自分の結果で周囲の反応とかを変わらせるしかない、と思っていたので」

 久保が言及した「心ない言葉」とは、ゴールやアシストという結果を残せなかったことに対する地元ファンやメディアの批判の声で、それは久保への強烈な逆風となる。年が明けて、先発に名前を連ねられない時期が続くと、逆風はさらに強まっていった。それでも久保には、ネイティブレベルにあるスペイン語能力という、最大の武器を持っていた。

 10歳だった2011年8月にスペインへ渡り、バルセロナの下部組織に所属した3年7カ月もの日々で身につけたスペイン語は今も錆びついていない。スペイン人のビセンテ・モレーノ監督をはじめとする、マジョルカの首脳陣と密なコミュニケーションを取り続けたことで、プレーが整理された。

 中盤の右サイドで6試合ぶりに先発に復帰した2月21日のレアル・ベティス戦。利き足とは逆の右足で2つ目のゴールを決めた久保は、新型コロナウイルスによる中断期間をはさんで13試合続けて先発を果たし、残留争いを強いられているマジョルカで代役の利かない存在感を放ち始める。

 体幹の強化を含めて、中断期間中に効果的なトレーニングを積み重ねてきたからだろう。右サイドを拠点に繰り出されるドリブルは再開後に対戦したバルセロナ、レンタル元であるレアル・マドリード、そしてアトレチコ・マドリードといった強豪クラブの守備陣の脅威になった。