文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。今回は、芥川賞史上最高のベストセラーとなった又吉直樹さんの『火花』の舞台裏と、芥川賞にまつわる「事件」をお伝えします。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)

エンタメ業界では、新人が
全てを変えてしまうことがある

又吉直樹エンタテインメントの世界では、新人が業界のすべてを変えてしまうことがある。又吉直樹さんの『火花』はそうしたケースだった(2015年8月21日、東京の帝国ホテルで行われた第153回芥川賞授賞式で) Photo:Sports Nippon/gettyimages

 近年の芥川賞といえば、芥川賞史上最高のベストセラーとなった又吉直樹さんの『火花』が有名でしょう。今回は、その裏舞台をお話しします。

 当時の私は、すでに編集長を離れ、担当局長として選考会に陪席するだけが仕事でした。選考会は7月ですが、すでに3月の『文學界』掲載時点で大騒ぎ、雑誌史上初めての増刷となっただけでなく、純文学の文芸誌なのに購読者のほとんどが10代という、驚異のブームとなっていました。

 正直、会社としては、『火花』が芥川賞をとれば大ベストセラーとなり、純文学の世界に新しい読者が取り込めるという期待はありました。

 スポーツの世界でも音楽の世界でも、エンタテインメントの世界に共通する法則があります。それは新人が業界のすべてを変えてしまうことです。特に、新しいライフスタイルを持ったルーキーは、若者の共感を得て、若者が一気にその世界に興味を持ってくれます。

 メジャーリーガーでいえば、野茂英雄、イチローがそうでした。サッカーでいえば中田英寿もそうでしょう。同じくらいの力があっても松井秀喜や松坂大輔は、従来型のスター。新しいスターは、そのライフスタイルが熱狂を生みます。そして又吉さんにも、新しいライフスタイルが感じられました。

 では、純文学を変えてくれる新人にどう対応するのか。私は社内のどんな会議でも、「とにかく文春は『火花』を芥川賞にしたいということは絶対言わないように」と念押しをしていました。