数年かかって、モトさんの娘がまだ生きていることがわかりました。その人の父は誰だったのか、高齢のその女性に何度も問い続けましたが、認知症のせいなのか、わざとなのか、聞こえないふりをされて、確証は持てないままの取材になりました。先生には申し訳ない結果となりました。

 最終便で東京に帰り、羽田空港から浜田山のご自宅までお送りしてから、横浜の自宅に帰ります。もう、除夜の鐘が……。清張先生はそっと私に、「毎年悪いね」とお小遣いをくれるのでした。 

「私は今どこにいる?」
公衆電話からの仰天コール

 編集者に取材を押しつけて、ご自身は執筆だけということでも、もちろんありません。土日になると、お1人で取材に行かれていました。

 ある日、休日の夕方に先生から電話がかかってきました。なぜか公衆電話から。いきなり、「木俣さん、私が今どこにいるかわかりませんか?自分の居場所がわからなくなりました」。

 相当焦った口調の先生の話をまとめると、浜田山の家から小田急線に乗って鎌倉方面に出た。帰路は小田急線ではなく、JRに乗った。どこかで乗り換えて浜田山に帰ろうと思って、駅員に道を聞いたら、偉そうな言い方だったので腹が立って、さっさと電車賃を支払って、次に来た電車に乗ってみたものの、どうも知らないところに向かっている。そこで、駅で降りて、横浜方面に住んでいる木俣ならわかるかと思って電話したというのです。

 地図を持ち出して先生に話を聞きながら、先生の現在地を推測します。しかし、肝心の先生はもう、駅から離れたところで電話をしているので、駅名もわかりません。

「先生、多分この駅で乗り換えを間違えたと思いますが、そこに戻れますか?」と言うと、「戻れない。しょうがないからタクシーで帰るよ」と、ちょっとしょげた声になった後、突然元気な声に戻りました。「木俣さん、この話で1本いけるね。松本清張の『私の点と線』!」

 愉しそうに笑って電話が切れました。本当に書くことが好きな人だったんです。