「あの頃は完全に正常な判断力を失っていました。自分は情報を投げるだけで、現場で直接手を下すわけじゃない。だから、悪いことをしているという意識も希薄だった。逮捕され、懲役7年の有罪判決を言い渡されてはじめて目が覚めたんです。なんて自分は浅はかで、弱い人間なんだと。がくぜんとしましたね」

 当時の前田は、市内の中心部で席数60ほどのカフェレストランを経営していたが、資金繰りに窮していた。

「借金をして店を立ち上げ、売り上げを伸ばそうと数年間真面目に働いてきました。経営関係の本を読んだり、経理の勉強をしたりと努力も惜しまなかった。どの口が言っているんだと怒られそうですが、本来僕は仕事が大好きで、責任感も強い人間なんです。女房、子どもも食わせなきゃいけない。でも地方都市の現実は甘くなかった。繁華街は寂れる一方。経営状態はどんどん悪化していきました」

 悪いことは重なるものである。経営が好調だったときに知人に貸した数百万円ものカネが一向に戻ってこない。精神的に余裕を失っていた前田は、知人の男に借金返済を強く迫った。すると――

「カネは返せないけど、簡単にカネを稼ぐ方法がある、と言うわけです。それが“情報屋”の仕事でした」

 興味を示すと、すぐに窃盗団のリーダーを紹介された。

「50代半ばくらいの在日韓国人で、仲間たちからは“キム会長”と呼ばれていた。小柄だけどがっしりした体で、ヤクザとも違う、いかにもヤバそうな目つきの男でした。後に知ったのですが、ヘビー級のシャブ中毒。とにかくぶっ飛んだおっさんでした」

“アジト”はシャッター商店街の雑居ビルにあった、いつ行っても客のいない雀荘。ここで麻雀を打ったり、韓国の焼酎ソジュを飲んだりしながら、5~6人のメンバーたちと“ゴト”の打ち合わせをするのが常だった。

 会長は前田のことを「お前さん」と呼んでいた。

 最初の“面接”で前田はこう言われたという。