例えば、「テロ等準備罪法」は、277ある処罰対象の罪のうち、テロに関連するものは110しかなかった。拡大解釈による人権侵害などに対して国民の大多数が不安に思うのは明らかだった。だが、それらは無修正で国会を通過し、法律として成立してしまった(第160回)。

 だが、野党の強硬な態度は、そもそも安倍首相が野党を「上から目線」で見下したような態度をとったからである。この首相の感情的で「狭量」な態度が、法案を問題の多いものにしてしまったのだ。

 さらに、安倍首相の「狭量」な態度は保守派の悲願である憲法改正の実現を阻んでしまった。この連載では、安保法制の国会審議中に、安倍首相が野党の保守系議員との関係を壊したことで、憲法改正の実現が遠のくことになると指摘していた(第111回)。その通りになったといえるだろう。

 安倍政権は国政選挙で連勝を続け、ついに憲法改正の発議が可能となる衆参両院で3分の2以上の議席を改憲勢力が占めることになった(第169回)。それにもかかわらず、安倍首相は憲法改正に動くことができなかった。それは、野党の保守系議員が態度を硬化させて、「安倍には絶対に改憲をさせない」と公言し、憲法改正の議論を進めようとしなかったからだ。

「安倍首相は謙虚であれ」
警告したときの懸念が現実に

 そして、安倍首相の「狭量さ」は悲願の達成を阻んだだけでなく、安倍首相自身を追い込んでいくことになった。

 安倍政権では、首相やその周辺の「権力の私的乱用」疑惑と、首相への「忖度」からくる官僚による隠蔽や公文書偽造、資料破棄などの問題が次から次へと起こってきた。「森友学園問題」(第178回)、「加計学園問題」(第158回)、「南スーダンの国連平和維持活動(PKO)の“日報隠し”問題」(第179回)、「裁量労働制に関する厚労省の不適切な調査データの問題」(第177回)、そして「桜を見る会」問題(第233回)といった具合だ。

 しかし、野党の追及に対して安倍首相はまともに答えず、その態度は「おごり」「傲慢」そのものだった。首相は、不祥事が起こるたびに「責任は私にある」と原稿の棒読みを繰り返した。だが、実際に責任を取ることは1度もなかった。

 この連載では、指導者は「謙虚」でなければならないと、安倍首相に警告したことがある(第176回)。それは、一般的に言われる「選挙に勝つため」ではない。「有事」の際に、指導力を発揮するためである。

 強力な首相の権力は、究極的には「有事」において首相が指導力を発揮するためにある。ところが、首相に「謙虚さ」がなく、「軽率な言動」「おごり」「傲慢な態度」によって首相の権力に対する国民の支持や信頼が失われてしまうと、指導力を発揮できなくなるのだ。

 だが残念なことに、この連載の警告は実際に起きてしまった。新型コロナウイルスという「未知の敵」が襲来する「有事」において安倍首相の言葉が信頼されず、厳しい批判を浴びることで首相自身も周囲も右往左往してしまった(第237回)。

 自らの言葉が国民に信頼されないことは安倍首相にとって強いストレスとなり、次第に健康をむしばんでいったことは想像に難くない。