「男の約束」で始まった安倍政権
やり切れない思いが残る
東日本大震災という未曾有の危機下にあった2011年に、野党として過ごしていた自民党は、安倍晋三総裁をかついで2012年11月の国会で民主党の野田首相(当時)との討論に臨み、公開討論の場で「男の約束」を結んで、解散総選挙を引き出した。政治的な駆け引きゆえに額面通りに語るのは危険なのかもしれないが、「男の約束」を結ぼうとする野田さんの潔さに対し、野田さんから迫られて動揺する安倍さんの姿を見て、筆者は安倍さんのことを心配になったのを覚えている。
その後、安倍政権が発足したが、消費税増税と衆院議員の定足数削減という痛みを伴う改革の実現に向けた「男の約束」は、安倍政権の中で先延ばしや中途半端な改革に留まり、「男の約束」は果たされぬままに終わった。
安倍首相は、本来であれば東京オリンピックを首相としてのレガシーとするはずだった。しかし、新型コロナウイルスという100年に一度の危機対応に忙殺され、体調不良で志半ばで辞任することになった。憲政史上最長在任の首相の偉業は、その始まりと終わりだけをみても余り華々しいものではない。
また、選挙戦での圧倒的な強さを武器に自民党内や野党のライバルたちを黙らせてきた最強のリーダーでありながら、日本の未来のためにほとんど何も成し遂げられなかったことは、本人だけではなく、彼に日本の未来を託した多くの有権者にとって、やり切れないものだったように思える。