養老 僕は囲碁のニュースは、あんまり関心なかったですね。だって、人間の100メートル競走に、いきなりオートバイが選手として出てくるわけねえだろって、いつも言っているから(笑)。囲碁・将棋などの目的に特化しているAIプログラムですから、そんなのにかなうわけないでしょって。

 ただねえ、不思議だと思うのは、ああいうソフトを企画して作った人が裏にはいるはずで、言ってみれば、その「人」が負かしたわけですよ。あるいは、威信をかけて勝負に挑んでいるのはディープマインドという「会社」と言ってもいい。それなのに、「AIが人を負かした」というストーリーだけが一人歩きしている印象が強い。

「AIの良い使い道」とは

AIの壁 人間の知性を問いなおす二人の対談が収録されている養老孟司氏の著書『AIの壁 人間の知性を問いなおす』(PHP新書)

羽生 またすごいのは、その、ソフトを作っている人自身が、あまり囲碁や将棋のことをわかっていないというところです。ディープマインド社が開発した最新版の「アルファゼロ(AlphaZero)」というAIがあって、囲碁も将棋もチェスも、それぞれ最強と言われていた既存のソフトに勝ってしまい、一気に最強の座をもぎ取りました。開発の人から連絡が来て、論文を出したいので将棋の棋譜の解説をしてほしいと依頼されました。開発をされた人たちは結果から強くなっているのはわかるようですが、その内容についてはよくわからない(笑)。棋士は棋譜の内容については解説ができるが開発の内容については皆目、わからない。だから、全体像が見える人間は誰もいないことになります。また、深層学習は特にそのプロセスで何が起こっているかわかりにくい側面もあります。

 ですので、これからAIが人間に受け入れられるか否かの最大の鍵は、このような「ブラックボックス」をどう評価するかという課題だと考えているのです。そのブラックボックスのところによって、大きな成果や結果が出ているけれど、社会的にそれが受け入れられていくかどうかというのは、各々の分野で議論や分析が必要ではないかと。

 将棋や囲碁なら、ブラックボックスのままで、「よくわからないけれど、手強い新手ですね」と判断を下してもいいのかもしれない。だからと言って、じゃあ、医療の診断などでブラックボックスが日常になったら、「AIが、がんの可能性は○○%と言っているから、信じましょう」と言われて、「どうしてですか?」と質問すると「いや、根拠はわかりません」という答えが返ってくる。それを許容できるかどうか。

 また、養老先生が対談の冒頭で、AIを「便利な道具」というように表現されましたけど、将棋はまさにそういうものなんですよね。人間が持っている能力や才能を伸ばすためのツール。AIのそういう使い方を、先行して提示しているのが将棋界なのかもしれません。その利点を強化して、道具として使いこなしていく道はあるのかなとは思っていますね。

 例えば、将棋のソフトが世に出回って、AIの将棋に触れた後の方が、強くなる人は増えると思います。人間同士だけで戦ってきた場合に得られる自己ベストの棋力から、さらにレベルを上げていく人が続出するでしょう。

 あまり良い言葉ではないのかもしれないですが、将棋のような対戦ゲームやボードゲームなんかは、実社会や人の生き死にには直接的な影響を与えないので、実験やシミュレーションに向いています。「AIの良い使い道」を模索する指標になるのではと思います。

養老 僕が羽生さんのAIにまつわる本を読んでいて感じたのは、AIの「ツールとしての使い道」を提示している部分が非常に健康的だなと。そういうふうに使うものなんですよ。それが本来の、AIの仕事だったんだから。

(構成/古川雅子)

ようろう・たけし/1937年、鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。95年、東京大学医学部教授を退官し、同大学名誉教授に。89年、『からだの見方』(筑摩書房)でサントリー学芸賞を受賞。著書に『唯脳論』(青土社・ちくま学芸文庫)『バカの壁』『遺言。』(以上、新潮新書)『文系の壁』『半分生きて、半分死んでいる』(以上、PHP新書)他多数。
はぶ・よしはる/1970年、埼玉県生まれ。二上達也九段門下。85年、中学3年生のときにプロ入り。89年、19歳で初のタイトル竜王を獲得。96年、史上初のタイトル七冠を果たす。2017年、永世七冠を達成。18年、国民栄誉賞受賞。著書に『決断力』『大局観』(以上、KADOKAWA)、『直感力』『捨てる力』(以上、PHP研究所)など。

※本文は書籍『AIの壁 人間の知性を問いなおす』を一部抜粋して掲載しています。