僕たちにはもっと「安心感」が必要だ
バーバラ・フレデリックソンが言うように、「心理的安全性とは、間違いの指摘、質問、助けを求めることを、誰もが罰せられたり馬鹿にされたりしないでできること」だ。
こうした環境では、人は建設的な気持ちで相手の意見を受け取り、それを自分の仕事に最大限に活かそうとする。
フレデリックソンはその基本的なルールとして、誰でも質問ができ、疑問があればそれを口に出せる雰囲気が必要だと述べている。「あなたの意見を聞かせてほしい。私に足りないものを補ってくれるはずだから」という共通理解を誰もが持つことが大切だ。
僕たちは日々、職場で小さなリスクに直面している。顧客に何かを勧めたり、何かを売ったりする行為は、程度の差はあれ僕たちの会社での評判を危険にさらすものになる。
失敗するかもしれないという恐れは、仕事への態度に影響する。そのことが気になり始めると、解雇される(訴えられる)かもしれないという強い不安の中で毎日を過ごすことになる。
逆に言えば、こうした恐れのない安心できる職場では、仕事の質が高まる。
この間、知りあいからこんな話を聞いた。
ある有名なIT企業で最近幹部になった人物が、上司のジェリーが不在のときにやってきて、「このチームの状況が急速に改善しなければ、ジェリーは私に解雇されることになるだろう」と言ったのだという。
もし、場所を変えてこの幹部に発言の真意を尋ねたとしたら、言葉の弾みでそう言っただけだと答えるかもしれない。
だが、送り手と受け手によって言葉の解釈は違う。そのギャップはゴシップや噂、疑念の泥沼になりかねない。
たとえ冗談のつもりであったにしても、この幹部はその言葉によって、チームにこの職場は心理的に安全な場所ではないというメッセージを発信することになったのだ。
このアプローチを意識的な戦略として採用している企業もある。ネットフリックス社の行動規範を記した「ネットフリックス・カルチャー・デッキ」は、2009年に初めてウェブ上で公開されると、その大胆な率直さで大きな話題を呼んだ。
この文書が明らかにしているように、ネットフリックスの従業員は、それなりの働き方をしているだけでは、まず解雇されるだろう。
これが、ネットフリックスの元最高人事責任者パティ・マッコードが偉大なチームについて「家族」という言葉を使うのを拒否した大きな理由だ。
どんなにひどいクリスマスディナーをつくっても、お母さんはクビにはならない。どれだけ家の中を泥だらけにしても、弟の名前が家族のワッツアップ・グループから消えることはない。
もちろん、職場と家族は違う。それでも、心理的安全性が存在するためには、先入観を持たれたり拒絶されたりすることなく、人から受け入れられるという安心感が必要だ。
心理的安全性は実現するのが簡単ではないため、それを最初から放棄する企業もある。
バズの状態に到達するのは、たしかに難しい。でも、職場で心理的安全性とポジティブ感情の組みあわせを実現できれば、驚くべき効果が得られる。