僕たちは「重大な決断」を迫られた

 IBMの密使は、もうひとつの要求をした。沖電気の「IF-800」が念頭にあったのだろう、マイクロソフトにOSも提供してほしいと求めたのだ。しかし、これには応えたくとも、応えられなかった。当然だ。当時、マイクロソフトは自社のOSを持っていなかったからだ。

 ないものはしょうがない。

 そこで、ビルと相談して、「CP/M」を開発したデジタルリサーチ社の創業者・キルドールを紹介することになった。ところが、ビルがキルドールのところに電話をしたが、あいにく不在だった。ビルは、「たいへん重要なお客さんが明日、デジタルリサーチを訪ねるから、予定を空けておいてほしい」と伝言を頼んで、電話を切った。IBMの社員が行くとは言わなかった。というか、言えなかった。IBMとの秘密保持契約があったからだ。

 ところが、翌日IBMの密使がデジタルリサーチを訪ねて行ったら、キルドールは不在だった。やむなく、奥さんと話し合おうとしたのだが、その前提として、秘密保持契約にサインするように求めると、何が何だかわからない奥さんは、サインを拒否してしまったのだ。

「それでは、話はできない」。何度も押し問答をした末に、そう悟った密使は、用件も伝えずに引き上げざるを得なかった。そして、困り顔で、マイクロソフトに再びやって来て、「デジタルリサーチは、どうもIBMと商売をする気がないようだ」と、そんなことを言ったのだ。

 その瞬間、僕たちは、マイクロソフトにビッグ・チャンスが訪れたことを悟った。

 もしも、僕たちが、IBMが求める水準のOSを作ることができれば、採用されるかもしれないということ。実は、当時、マイクロソフトは、8ビット・パソコン用のOSの開発をひそかに進めていた。しかし、IBMが作ろうとしていたのは、16ビットのパソコンだ。しかも、与えられた時間は3ヵ月。その短期間に、果たしてOSを作り上げることができるのか……。

 僕たちは、重大な決断を迫られていた。

「やるべきだ! 絶対にやるべきだ!」と叫んだ

 次の日の晩、僕たちは集まった。

 ビル・ゲイツ、ポール・アレン、僕、そして、1980年にビルが初めて採用した経営人材で、のちにマイクロソフト社長になるスティーブ・バルマーの4人だった。

「このビッグ・チャンスをみすみす逃す手はない」。当然、全員がその思いだった。しかし、ビルもポールも不安を隠さなかった。16ビット用のOSを3ヵ月で作れるのか? しかも、IBMの要求水準を満たさなければならない。それは、あまりにも無謀なチャレンジに思えたのだろう。

 話は堂々巡り。

 なかなか結論は出なかった。ソファに深く腰をかけていた僕は、それをジリジリしながら聞いていた。そして、「やっぱり、難しいんではないか……」という話に傾きかけたとき、思わずこう叫んだ。

「やるべきだ! 絶対にやるべきだ!」

 僕には勝算があった。

 いや、シアトル・コンピュータ・プロダクツという会社が「シアトル・コンピュータ・プロダクツDOS」という16ビット用のOSを開発していることを知っていたのだ。だから、僕は、それを買えばいいと言った。

 もちろん、それを僕たちの力で大幅に改善する必要はあるが、ゼロから開発するよりも絶対に早い。IBMが求める3ヵ月という期間に間に合わせることができるはずだ、と。つまり、「OS」を買うんじゃなくて、「時間」を買うということだ。

 これで、会議の空気が変わった。

「そうだ、やろうじゃないか」ということで、早速、ポール・アレンが、シアトル・コンピュータ・プロダクツに車を飛ばしていって、「シアトルDOS」を買って来た。そして、これに改良を加えることによって、「MS-DOS(マイクロソフト・ディスク・オペレーション・システム)」が誕生する。

 ただし、すんなりとIBMマシンへの「MS-DOS」の採用が決まったわけではなかった。その後、「事実」を知ったキルドールは、IBMのために16ビット用のOSを作ることに合意。「CP/M」を16ビット用に改良した「CP/M-86」を作り上げたからだ。

 これは脅威だった。そりゃそうだ。8ビット・パソコンのOSを、ほぼ制覇していたのは「CP/M」だったのだ。その実績と経験値をもつキルドールの存在は脅威に決まっている。