残酷な”女神”との付き合い方

 ただ、運命を決める”女神”がいたとしても、一瞬一瞬を生きている人間には関係のない話だ。今、”女神”がサイコロを振ってるなんて、誰にわかる?

 結局、僕にできることは、一瞬一瞬を一生懸命生きることでしかない。所詮、人間にはその時には自分の運命などわからない。実際、あの頃の僕は、「理想のパソコン」を求めて、ひたすら熱中して仕事をしていただけだった。

 NECや沖電気の人たちと一生懸命パソコンをつくり、NECのグリーンの背広を着てデモをやり、ビルやポールたちに「やるべきだ! 絶対にやるべきだ!」と叫び声を上げる。全部、その時その時にできそうなことを全力でやっただけ。

 ビルもポールもキルドールもエストリッジも、みんなそうだったに違いない。人間にはそうすることしかできないのだから、それをコツコツやり続けるしかないのではないか。

 ”女神”は勝手にサイコロを振り、僕の運命は決まる。

 それは、彼女の仕事であって、僕の仕事じゃない。”女神”のサイコロがどう出ようが、それはそれで受け入れるしかない。「成功」するもしないも、その決定権を握っているのは”女神”であって、人間ではないのだ。

 結局、僕にできることは、僕のやりたいことに「熱中」することでしかない。そして、そういう仕事があることに感謝することでしかない。ただ、「やりたいことに熱中する」ことなくして、「成功」することは100%ないとは言えるのではないか。きっと”女神”は、そういう人間の中から、気まぐれに「成功者」を選んでいるのだろう。

 つまり、「成功する方法」は誰にもわからないが、「成功の必要条件」は明確だと言えるのだろう。そして、人生において「熱中」できるものがある人は、たとえ成功しなくても、幸せであるとは言えるのではないだろうか。

 今は、そんなふうに思う。

*本記事は、『反省記』(西和彦・著、ダイヤモンド社・刊)から抜粋・編集したものです。

「マイクロソフト帝国」を生み出した“驚くべき伝説”の真実西 和彦(にし・かずひこ)
株式会社アスキー創業者
東京大学大学院工学系研究科IOTメディアラボラトリー ディレクター
1956年神戸市生まれ。早稲田大学理工学部中退。在学中の1977年にアスキー出版を設立。ビル・ゲイツ氏と意気投合して草創期のマイクロソフトに参画し、ボードメンバー兼技術担当副社長としてパソコン開発に活躍。しかし、半導体開発の是非などをめぐってビル・ゲイツ氏と対立、マイクロソフトを退社。帰国してアスキーの資料室専任「窓際」副社長となる。1987年、アスキー社長に就任。当時、史上最年少でアスキーを上場させる。しかし、資金難などの問題に直面。CSK創業者大川功氏の知遇を得、CSK・セガの出資を仰ぐとともに、アスキーはCSKの関連会社となる。その後、アスキー社長を退任し、CSK・セガの会長・社長秘書役を務めた。2002年、大川氏死去後、すべてのCSK・セガの役職から退任する。その後、米国マサチューセッツ工科大学メディアラボ客員教授や国連大学高等研究所副所長、尚美学園大学芸術情報学部教授等を務め、現在、須磨学園学園長、東京大学大学院工学系研究科IOTメディアラボラトリー ディレクターを務める。工学院大学大学院情報学専攻 博士(情報学)。Photo by Kazutoshi Sumitomo