IT黎明期に日本のみならず世界を舞台に活躍した「伝説の起業家」、西和彦氏の初著作『反省記』(ダイヤモンド社)が出版された。マイクロソフト副社長として、ビル・ゲイツとともに「帝国」の礎を築き、創業したアスキーを史上最年少で上場。しかし、マイクロソフトからも、アスキーからも追い出され、全てを失った……。20代から30代にかけて劇的な成功と挫折を経験した「生ける伝説」が、その裏側を明かしつつ、「何がアカンかったのか」を真剣に書き綴ったのが『反省記』だ。ここでは、西氏が間近に観察した(いや、当事者だった)、いまや世界に冠たる「帝国」となったマイクロソフト社の礎を築いた「伝説」について振り返る【後編】。

Photo: Adobe Stock

”驚くべき伝説”の導火線

 僕は、マイクロソフトのボードメンバーのひとりとして、マイクロソフトが帝国としての礎を築く、最初のきっかけとなったビッグ・ビジネスの現場に立ち会うことができた。

 1981年、コンピュータの巨人IBMが、ついに出したパソコン「IBM-PC」に、マイクロソフトの

IBMが1981年に発売した「IBM-PC」。この大ヒット商品にマイクロソフトの「MS-DOS」が搭載されたことで、「マイクロソフト帝国」の礎が築かれた。

 OS「MS-DOS」を採用。「IBM-PC」が大ヒットして、パソコンのデファクト・スタンダードになることによって、「MS-DOS」も世界標準としての地位を確立。これが、マイクロソフト帝国の礎石となったと言っていいだろう。

 歴史に”if”はないが、もしもあのとき、「IBM-PC」に「MS-DOS」が採用されなければ、いまのマイクロソフト帝国はなかったかもしれない。そして、誰かが別の帝国を築いていたかもしれない。まさに、パソコンの歴史の分水嶺となる、伝説的な一幕だった。

 伝説の筋書きを書いたのは、気まぐれで残酷な”女神”だった。

 その女神は、僕にも役割を与えた。そのきっかけの一つは、僕が日本で、沖電気の「IF-800」という

僕がプロデュースした沖電気の「IF-800」。このマシンに、デジタルリサーチ社のOS「CP/M」を搭載したことが、のちにドラマを生み出すことになる。

 パソコンをプロデュースしたことにある。沖電気が「汎用性の高いパソコンにしたい」と希望されたため、僕は、アメリカのデジタルリサーチ社が1976年12月に発売した「CP/M」というOSを載せ、その上でマイクロソフトBASICが動く仕様にしたのだが、これが”思わぬドラマ”の導火線となったのだ。

 ある日、突然、IBMの密使がシアトルのマイクロソフト本社を訪れ、僕たちに「BASICがほしい」と単刀直入に求めたのだが、彼らが求めたのは、沖電気の「IF-800」用につくった「OKI-BASIC」だったのだ。

 もちろん、僕たちに異論などあろうはずがない。巨人IBMがマイクロソフトBASICを使ってくれれば、そのビジネス上のインパクトは半端なものではない。ビルも迷わずOKを出した(ここまでの経緯の詳細は連載第14回を参照)。

 ところが、話はこれだけでは終わらなかった。