目的のためには「プライド」も捨てる
だけど、僕たちは勝った。
理由は二つあると思う。
第一に、技術的な問題だ。時間のなかったキルドールは、8ビット用の「CP/M」を16ビット用に拡張する作戦を取った。そのため、継ぎはぎ、継ぎはぎのプログラムにならざるを得なかった。一方、僕たちは、もともと16ビット用に開発が進んでいた「シアトルDOS」を完成させたから、コード・セットがクリーンだったのだ。
第二に、IBMに対するスタンスだ。
キルドールはリベラルな思想の持ち主だったのか、IBMの権威を認めなかった。はやく言えば、IBMの注文を「はいはい」と聞くような人じゃなかったのだ。
ところが、僕たちは、”IBM様”の言うことには、何でも「はいはい」と従った。あのプライドの高いビルも、IBMを相手にしたときは丁重極まりない対応をした。もちろん僕も、なんのこだわりもなく「はいはい」と言うことを聞いた。当然だ。IBMに採用されれば、でっかいビジネスになるのは明らか。浪速の商人だったら、そんな局面でプライドなんて無粋なことは言わないだろう。
こうして、「MS-DOS」はIBMのパソコンに採用されることになる。
そして、IBM初のパソコン「IBM-PC」は、1981年9月に発売された。これには僕も驚いた。プロジェクト・スタートから、たった4ヵ月で作り上げたのだ。エストリッジの辣腕ぶりには、唸るほかなかった。
「運命」を分けたのは何だったか?
「IBM-PC」は発売と同時に爆発的な人気を呼んだ。
当時、トップシェアを誇っていたアップルを抜き去り、2年後には首位に立つ。最後発だったIBMは、あっという間にパソコン市場をひっくり返し、その力をまざまざと見せつけたのだ。
それを見た世界中のパソコン・メーカーは、IBMパソコンと互換性のあるパソコンの製造を開始する。それは、16ビット・パソコンの時代の到来であると同時に、マイクロソフトの「MS-DOS」が、新時代OSの世界標準となったということでもあった。そして、これが帝国建設の礎石となった。「MS-DOS」があったからこそ、「ウィンドウズ」が生まれ、「ウィンドウズ2000」へと繋がっていったのだ。
それにしても、”女神”とは残酷なものだ。
その後、キルドールは、「コンカレントCP/M」という、非常に優れた16ビット用のOSを作ったが、「MS-DOS」の覇権はまったく揺るがなかった。IBMマシンに純正として採用されるか否か。その瞬間に、運命はほぼ確定してしまったのだ。
僕には、”女神”が2度サイコロを振ったような気がしてならない。
IBMの密使がはじめてマイクロソフトに来て、ビルがデジタルリサーチに電話をしたとき。そして、翌日、密使がデジタルリサーチを訪問したときだ。あのどちらかのタイミングで、キルドール本人がいれば、運命は変わったはずだ。もし、そうだったならば、マイクロソフト帝国が建設されることはなかったかもしれない。
あるいは、”女神”は慈悲深かったのだろうか?
なぜなら、彼女は2度もサイコロを振ったからだ。つまり、キルドールに2度のチャンスを与えたとも言えるのだ。しかし、キルドールは、いるべき場所にいなかった。そして、”女神”は、この伝説の結末を決めてしまったのだ。