「あの西和彦が、ついに反省した!?」と話題の一冊、『反省記』(ダイヤモンド社)が出版された。マイクロソフト副社長として、ビル・ゲイツとともに「帝国」の礎を築き、創業したアスキーを史上最年少で上場。しかし、マイクロソフトからも、アスキーからも追い出され、全てを失った……。IT黎明期に劇的な成功と挫折を経験した「伝説の起業家」が、その裏側を明かしつつ、「何がアカンかったのか」を真剣に書き綴った。ここでは、大学在学中に「月刊アスキー」を立ち上げた西氏が、その創刊号に書き記した「ビジョン」について振り返る。

心の中で思い描いた「ビジョン」が、人生を導いていく【西和彦】Photo:Adobe Stock

「狂気」の創刊劇

 狂気の創刊――。

『月刊アスキー』の立ち上げについて、そんな表現をされたこともある。

 僕は、何かを新たに作り出すというのは、そんなもんだろうという気もするが、たしかに、あの創刊劇はなかなか混乱に満ちたものではあった。それを「狂気」と言う人がいるのも、当然のことだったかもしれない。

 なぜなら、僕たちは「超」という字のつく「急発進」をしようとしたからだ。

 1977年5月上旬、日本初の「ホビー・エレクトロニクスの情報誌」である『月刊 I/O(アイ・オー)』の共同創業者だった星正明さんと大喧嘩をした僕は、『I/O』の仲間だった郡司明郎さんと塚本慶一郎さんと落ち合って、何時間も話し合った(詳しくは連載第7回)。そして、力を合わせて新雑誌を創刊することで合意したのだが、そのときに、僕が「その月」のうちに雑誌を出そうと吠えたのだ。

 これは、無知のなせるワザだった。