文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。昭和を代表する文豪、司馬遼太郎さん、山崎豊子さんとの忘れられない交流秘話。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)
韓国・盧泰愚大統領と司馬遼太郎の
「世紀の対談」が実現するまで
司馬遼太郎さん・山崎豊子さんの両巨人の謦咳に接することができたのは、出版人として貴重な体験でした。
司馬さんとは、実はほとんどご縁がなかったのですが、私の人生の中でも自慢できる企画を担当させていただきました。韓国の盧泰愚大統領と司馬遼太郎さんの対談です。
隣国・韓国で久しぶりに選挙で選ばれた大統領・盧泰愚氏は、ベトナム戦争の従軍中、戦陣の中で『坂の上の雲』に読みふけり、「韓国にもこんな時代を」と思っていた、という話を韓国大使館の金弘培公使から聞き、編集部から対談企画を提案しました。韓国側は「ぜひ、司馬さんに訪韓を」と大歓迎ムードです。
当時の韓国政府のエリートたちは、まだ日本語が読める人が多く、司馬さんの歴史小説のファンも多かったのです。豊臣秀吉による朝鮮侵略の際、薩摩に連れてこられた陶工たちがずっと故郷を思う『故郷忘じがたく候』など、日本と朝鮮の悲劇的な歴史に詳しいことも、人気がある理由だったと思います。
実際に対談が実現したのは、私が人事異動した後だったのですが、打ち上げには私も呼んでいただきました。司馬さんは、選挙で選ばれたとはいえ独裁・軍事政権だった朴正煕氏・全斗煥氏の直系とも見られがちな元軍人・盧泰愚氏との対談について、相当悩んでから仕事を受けられたのだと思います。企画は対談でしたが、記事は対談としてはまとめず、会見記として公表されました。