不朽

 伊藤忠商事と丸紅という二つの総合商社の基となる呉服商「紅忠」を創業した初代伊藤忠兵衛の次男、2代目伊藤忠兵衛(1886年6月12日~1973年5月29日)は、1951年1月から9月にかけて、毎号財界の重鎮を招く対談連載を「ダイヤモンド」誌に持っていた。当時の伊藤は、戦後にGHQから下された公職追放が50年末に解除されたばかりで、実業界に復帰しつつあるところである。

 51年4月11日号で対談相手に招かれたのは、石坂泰三(1886年6月3日~1975年3月6日)である。石坂は逓信省(現総務省)の官僚から、第一生命保険創業者である矢野恒太の招きに応じて、第一生命で32年間、矢野の片腕として活躍する。38年に社長となり、終戦後の46年に辞任。吉田茂から大蔵大臣就任を打診されるも辞退して、48年に東京芝浦電気(現東芝)に聘され、翌年社長に就任した。

 当時の東芝は、激しい労働争議と度重なるストライキによって経営危機に陥っていた。この記事が掲載された51年は、まさに石坂の経営手腕に注目が集まっているさなかだった。そのため、伊藤は東芝の現状に興味津々で、事細かに質問をぶつけている。

 対談中で石坂が披露する東芝改革の一つに「不適材不適所」という話がある。社内で重電と軽電が水と油のように対立している傾向があったので、重電関係の担当重役(岩下文雄)を軽電から、軽電担当重役(倉石源三郎)を重電出身者から抜擢し、入れ替えたというのだ。なんとも大胆な人事である。改革に当たる当事者の生の言葉として、実に興味深い。

 図らずも伊藤と石坂は1886年生まれの同い年。同学年で活躍する国内外の経営者、政治家などを挙げるところから対談は始まる。当時2人は64歳なので、「もう二番茶だ」などと冗談を言い合いながらも、日本の産業界や技術開発の未来について意見を述べ合う。

 日本の製造現場で使われている工作機械や工具が、米国のそれと大きくレベル差があるという指摘や、まだまだ日本の電力事情が心もとないという話には、終戦からわずか5年ちょっとという時代がよく表れている。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

1886年の同じ戌年生まれ
コレラ流行の翌年で多産だった

1951年4月11日より
1951年4月11日号より

石坂 今夜はお見立てによって、あんたのお相手を仰せ付かったんだがね。

伊藤 どうもあんたも運の悪い人だね。1886(明治19)年の同じ戌年に生まれたがために悲惨な目に遭う。

石坂 あんた何月生まれ。

伊藤 私はあんたより若いだろう。

石坂 私は6月生まれだ。

伊藤 僕もそうだ。

石坂 しかし、こっちは6月3日だから……。

伊藤 こっちは12日だ。9日遅いわけだ。2日違いで河上弘一(元日本興業銀行総裁)君が、どうも威張っておるんだが……加納久朗(元国際決済銀行取締役、のちに千葉県知事)が5月だ。何か知らんが戌年は多産らしいね。

石坂 しかし、もう繁殖しないよ。

伊藤 どうも、前年の明治18年という年は飢饉でね。大阪は淀川の堤が切れて十数日水浸しになった。その後で、コレラがはやった。それで人口が減少したが、その後、急速に増加した。これは天の配剤らしい。不思議なことに、男が余計生まれておる。

石坂 明治18年というと、伊藤博文の手で内閣制が初めてできた年だな。

伊藤 アンドレ・モーロア(フランスの小説家)がこの年に生まれておるよ。

石坂 アメリカの国防動員本部長官、チャールズ・ウィルソンがやはり同じ年だよ。もっとも10月か11月生まれだから、僕らより少し若い。しかし僕らよりははるかに偉い人らしい。日本に鉄がないとか、ニッケルがないとかいうが、アメリカへ行って、ウィルソンと膝詰め談判するのが、一番確かだ。彼が世界経済を支配しておるといっても、過言じゃないだろう。

 ウィルソンはGE(General Electric)の社長だし、IGE(International General Electric)のウィリアム・へロッド社長が欧州における工業動員の総元締になっておる。両方ともGEから出た人で、東芝と関係の深い人々だ。

伊藤 確かに偉い電気屋さんだが、乃公(石坂を指して)も電気屋だぜ。

石坂 そうだ。電気屋も電気屋、いま問題の中心点だ。

 しかし、ウィルソンという人は偉い人だと見えて、ニューヨークの貧民窟に育って、おやじは製本屋の職工だったらしい。彼が四つかの年におやじさんが死んで、お母さんに育てられて、小学校へ入った。そして12の年にスプログという小さな電気会社の小僧になった。そこでコツコツやっておるうちに、その会社が大きくなって、GEがそれを買収した。それでGEへ入り、今日に至ったわけだ。学歴としてはほとんどなく、夜学なんかへ通ったぐらいらしい。

伊藤 長い一生だな。

石坂 第2次大戦のときにも、彼がやはり元締になって工業動員をやった。そのときのことだが、自分はGEに入って47年後に社長になった。けれども、今度辞めるときは47分かからなかったと書いておる。

 彼はボクシングが強く、アマチュアの選手級で、見上げるような、大きな男だよ。子どものときにボクサーになろうと思って、おっかさんに相談したら、とんでもない、そんな者になっちゃいけないと言われたという。

伊藤 写真で見るといい男だな。

石坂 六尺豊かの立派な男だよ。私は去年アメリカで会った。それはそれとして、僕らと同じ年だというので、いささか気恥ずかしくなっちゃった。

伊藤 イギリスの大臣にも若い人が多いな。

石坂 そうらしい。アメリカの有名会社の社長にも、若い人が多いな。今度、ラルフ・コーディナーというのがGEの後任社長になったが、写真で見ると、非常に若いな。