配属された東京の北東部、いわゆる城東地区の下町にあるその支店の取引先には、中小企業や個人商店が多かった。まだ人情のかけらがいくらか残存している街の経営者や店主たちはみな、少々粗忽なところはあるが、人なつこい性格の上野をかわいがってくれた。

「デモンストレーションといって、機械の無料貸し出しから営業を始めるんです。なんとか一週間だけ置かせて下さいって僕がお願いすると、『絶対、契約はしないからな』なんて言いながら、不思議とみなさん置かせてくれるんですよ。僕は人柄がいいから、下町受けするんでしょうね」

 下町受けをしまくった結果、上野は入社した年の新人コンテストでいきなり全国第2位という成績をあげてしまった。全国の営業所に配属された約200人の新人営業マンの中の、第2位である。

 しかし、いまになって振り返ってみれば、本当に仕事ができたのは上野ではなかったのだ。

「僕のいたチームのリーダーはMさんといって、関西の大学でアメフトの選手をやっていた人でした。ライスボールに出たこともあるってよく言ってましたね。彼は、成績の悪い部下に対して、絶対に優しい言葉をかけない人だったなぁ」

 営業チームは、4~5人の営業マンによって編成されていた。チームのリーダーは、いかにも外資系らしく、年齢ではなく営業成績によって決められていた。M氏の下には上野の他にも数人の営業マンがいたが、上野以外は全員、M氏よりも年上であった。

「Mさんは年上の営業マンに向かって、『お前、なんで帰ってくるんだ。売れるまで帰ってくるな』とか、『どこへでも行って売り歩いてこい』なんて平気で言っていましたね」

 上野はそんなM氏の姿勢に、激しく違和感を覚えた。しかし、上野の成績を押し上げてくれているのがM氏であることも、紛れもない事実だったのである。

 上野は、たしかに人柄がいい。朗らかで、いかにも隙だらけな感じの好人物である。下町の経営者や店主が、そんな上野にほだされてデモンストレーションに応じてしまうのも頷ける話である。しかし、デモンストレーションが終了するときになって現れるM氏は、おそらく上野とは正反対のタイプだったのだろう。経営者や店主には1週間無料で使わせて貰ったという引け目があるから、強面のM氏に強引にねじ込まれると、しぶしぶでも「じゃあ、少しの間なら」と言わざるを得なかったのではないか。

 要するに、上野は営業のキッカケを作っていただけで、肝心のクロージングはすべてM氏が担当していたわけだ。新人コンテスト全国第2位という輝かしい成績も、実質的にはM氏が作ったようなものだと言っていいだろう。

 しかし会社は、そうは判断しなかった。そして当の上野も、そうは思っていなかった。

 上野は同期の中でピカイチの営業成績をひっさげて、下町の営業所からタクシー業界で言うところの「なか」の営業所に栄転することになる。千代田区内にあるその営業所は全国第1位の売り上げ高を誇り、霞ヶ関の官庁街を丸ごと抱えていた。そして上野は、某官庁の営業を一任されることになったのである。

 外資は年齢に関係なく、仕事のできる社員を厚遇する。上野の月給は、手取りで200万円を突破。社内でも美人の呼び声が高い女性と結婚をし、東京の郊外に派手な一戸建ても建てた。ふたりのかわいらしい女の子も生まれて、行くところ敵なしの勢いであった。酒は銀座か赤坂でしか飲まなくなり、一晩で数万円を使うこともザラになった。