そして、氏を変えることもなければ全近代的価値観の姑のお使いを頼まれることもないため、割と暇なので、そんな者同士で、夫婦別姓反対の声から滲み出る微妙な性癖を勝手に分析したり、そんなどうでもいい話題で女子会を長引かせたりしている。

 そんな私たちが勝手に想像するに、世界中の流れを無視するほどの反対理由は気分的かつ複合的なもので、無理やり分解すると以下のようになる。

 第一に、「変化が何でもイヤ」。狭い島国で長い間居心地よく暮らしてきた者、年代的に既得権益を多く握っているものは、何か抜本的な変化に対して、自分の居心地の良さが奪われる恐怖がある。自分に直接関係がなくとも、移民受け入れも嫌、マリファナ合法化も嫌、ヘソだしファッションにも難色をつける。

 第二に、「女がさらに力をつけそうでイヤ」。各組織で台頭してきた女たちが、自分らの地位を揺るがすことにソワソワしている高齢男性たちがいて、彼らにとっては女性の不便に応えるかたちでの制度改正は、世の森羅万象がどんどん女の思い通りになるような錯覚をもたらす。その怯えは当然、自分は男だから特別扱いされて今の地位を獲得したが、そのゲタを履かなければここには来られなかった、と自白しているような情けないものだけど。

 第三の理由がおそらく一番象徴的なのだけど、「俺に帰属する女がいなくなりそうでイヤ」。確かに、イエ制度の名残ともいうべき夫婦同姓が崩れると、自分ないし自分のイエが、嫁を所有するという感覚は薄れる。所有欲やコレクション癖を捨てきれない男からすると、私ら独身女が、「今日からあなたの服や靴は近隣住民と共同所有になります」と言われるような寄る方なさがあるのかもしれない。

 そんなフェチを満たしたいなら自分のところは同姓を選んでくれる女を探せと思うが、「選択制」であるにもかかわらず反対するのは、全体の制度が変わったら、多くの女性が別姓を選ぶことを危惧するからだろう。その時点で、ぶっちゃけ別姓のほうが便利ジャン、と思っている深層心理が垣間見られる気がしないでもない。