多くの都道府県は病床に余力があるのに
システムが機能していない

 コロナ禍における日本の医療提供体制を回すシステムは十分に機能しているか。2020年春の第1波に続いて、2021年冬の第3波の際も救急搬送困難事例と呼ばれる事態が頻発し(15)、新型コロナウイルス患者が自宅で死亡する事例が増えている(16)。これは社会的・人道的に受け入れ難い。

 一方で、医療現場は大変である。筆者の働く大学病院も第1波から名古屋市で最も多くの重症患者を受け入れて来た。看護師を中心に緊張感のある日々だ。確かにそれぞれの現場は限界まで頑張っている。しかし、そのことと社会として医療資源の適正配分ができていることとは、別の問題である。

 むろん、行政も手をこまねいていたわけではない。

 2020年6月19日の厚労省新型コロナウイルス感染症対策本部からの事務連絡で、新型コロナウイルス感染症の医療提供体制整備について各都道府県に7月末までに報告をするように求めた(17)。その結果、各都道府県が自ら確保病床数、重症者用の確保病床数を厚労省に報告した。実際の使用状況も含め、週1回毎にwebで最新状況を公開している(18)。しかし、この数字にも問題がある。

 例えば北海道の新型コロナウイルス感染症の重症用確保病床は182床である。北海道のICU病床は222床、HCU病床などは482床である。1対1看護に換算すると111床、120床相当となる。合わせて230床程であり、他の急性期疾患の患者も診療するならば、182床は非現実的だ。

 東京都は重症用の確保病床を500床としている。東京には1095床のICU病床、985床のHCU病床等がある。1対1看護換算で、500床と250床相当だ。他の急性疾患の患者もいるので、500床確保は厳しい。

病床確保計画には
非現実的な計画が含まれている

 もし、東京都が500人の新型コロナウイルス感染症の重症患者を診療できると言い切るならば、150人ほどの狭義の重症患者数で医療崩壊をうんぬんするのは本来おかしいことになる(もちろん、通常診療が圧迫されるという意味で医療が逼迫しているというならば、その通りである)。

 さらに混乱があるのは、東京都は狭義の重症患者を重症者数として発表しているのに対し、国は広義の重症患者数を計上するよう求めている点である。どちらも医療提供体制を検討する上で、重要な指標だ。全ての都道府県に両方報告させ、国がそれを公表すべきだ。

 狭義の重症者数の上限に既に達していると考えられる自治体がある。大阪府だ。

 少なくとも重症患者診療に関しては、大阪府は非常に頑張っている。大阪にはICU病床が615床あり、その3割は183床となる。報道から受ける印象で恐縮だが、大阪は狭義の重症患者が120〜130人になったあたりから非常に緊迫しているように見えた。大阪コロナ重症センター30床を新たに加えることで何とか持ちこたえている。逆に言えば、大阪府は重症診療に関して資源の限界まで頑張っているにもかかわらず、実際に医療提供体制は逼迫しているとみられる。

 中等症向けの急性期病床はどうか。東京都4万4916床、神奈川県2万4661床、大阪府3万2087床の実績のある急性期病床がある。それぞれ4000床、1939床、1602床を確保病床として計上している。もともとの急性期病床の病床利用率は76.5%である(19)。新型コロナウイルス感染症中等症患者を診療するのに7対1看護を仮に4対1看護とするならば、4000床、1939床、1602床は7000床、3393床、2804床相当の病床利用とみなせる。少なくとも、これ以上病床数を増やせないレベルであるとは考えにくい。

 システムの話をまとめよう。

 まず、入院が必要なのに入院できない人や在宅死が出ている現状は、システムが十分に機能しているとはいえない。病床確保計画には非現実的な計画が含まれている。最も重症患者の多い大阪府は重症者診療を上限まで資源を用いて、何とか持ちこたえているようにみえる。東京は重症、中等症向けの病床数共に数字上は余力がある。

何が問題でどうすべきなのか
解決すべき「3つのポイント」

 日本の医療資源の特徴を見てきた。大阪を除いて新型コロナウイルスの重症患者が、重症診療のキャパシティを超えるには至っていない。中等症のキャパシティについてはどの都道府県でも上限に達しているとは考えにくい。しかし、救急車の搬送困難事例や新型コロナウイルス陽性患者の自宅での急変や死亡が相次いでいる。何が問題でどうすべきなのか。

 ポイントは3つある。

 最初に「目的と指揮命令系統(責任の主体)の確立」、次に「医療資源配分の全体像の提示と高度で専門的なオペレーション、情報公開」、最後に「医療機関および医療従事者への包括的な経済支援」である。

 第一に、目的とは何か。医療崩壊を防ぐことは手段である。真の目的は救える命を救うことだ。そのことを我々は26年前に学んだのではなかったか。阪神淡路大震災である。目の前の負傷者を手当たり次第に救うのではなく、今すぐ命に関わる人、数時間後に急変する恐れが強い人を見抜き、優先して救うことを学んだ。限られた医療資源を救命に集中させる。それがトリアージである。とても大切なことは「トリアージ=命の選別」ではないことだ。逆である。救える命を確実に救うために軽症者に待ってもらうこと、それこそがトリアージの本質である。

 この目的を社会が共有しない限り、この危機は乗り越えられない。それができるのは政治しかない。まずは政治がはっきりと「疾患の種類にかかわらず、直ちに命に関わる患者を最優先し、人びとの命を守る仕組みを確立する」ことを宣言し、最終的な責任の主体が政治にあることを明確にすることだ(英国は2020年の3月に政府が命に関わる医療を優先する方針を打ち出したという)。その上で指揮命令系統を確立する。それなしに各医療機関がそれぞれの善意で動いても、多くの命を救うことはできない。

 日本にはそのような法的枠組みはないと言う向きもあるが、新型インフルエンザ等特別措置法の第31条には医療従事者への医療行為の「要請」と正当な理由なくそれに応じない場合の「指示」が記されている。私は法の専門家ではないので法解釈の詳細は分からないが、この国難に政治が強い指導力を発揮することに民意が得られないとは考えにくい。現行法でも十分に政治のリーダーシップで状況は変えられるのではないだろうか。もし、現行法で不十分ならば、医療従事者の基本的人権に配慮した上で必要な立法を検討すべきだろう。