情報は透明化すべき
患者目線、市民目線で仕組みを作る

 そして、情報は透明化すべきだ。ドイツではどこの病院にいくつのICU空床があるかを、市民にリアルタイムで示している。日本はすぐに風評被害を気にするが、人びとを信頼するならば情報公開に支障はない。権限を強化する以上は、情報を開示しないと公平・公正な判断ができているか市民は検証不能である。

 さらに大切なことは一人の患者がどのような経緯をたどって、医療・介護の世話になるのかという視点、つまり患者目線、市民目線で仕組みを作ることだ。

 新型コロナウイルス感染症ひとつを取り上げても、有症状時の行動指針、検査のタイミング、検査後の行動指針、高齢者施設クラスター発生予防・発生時対応、療養施設入所基準、急性期病院入院基準、急性期病院からの転院・退院基準、後方病院確保、退院後の地域の医療・介護資源へのつなぎ等々をトータルで考えないと、必要な人に必要な医療・介護を届けられない。通常診療・介護、救急医療を維持しようとすれば、保健所と役所だけでは間に合わない。医療・介護職員の再配置が必要となるからだ。

医療機関と医療従事者への
包括的な経済支援が重要

 三つ目は医療機関と医療従事者への包括的な経済支援だ。コロナ禍で厚労省はさまざまな名目で財政出動をしてきた。日本の医療政策は2年に1度の診療報酬改定という名の医療サービスの価格決定が決める。「良き医療行為」を行えば報酬が高くなり、医療機関が得をするという動機付けで、医療行為を誘導してきた。さまざまな問題点はあるにせよ、ある定程度機能してきた。

 しかし、有事には向かない。

 というのは、確かに時間が十分にあれば、経済的なインセンティブは、結果的に需給バランスを成り立たせるかもしれない。しかし、今、確実に過不足なく医療が提供されることを保障しないからだ。

 また、院内クラスターが発生し診療機能が大幅に落ちると、病院収入は激減する。そのリスクを考えると、個別の補助金では割に合わないという声も聞く。

 従って、上記のような政府の裏付けで指揮命令系統を作る場合は、医療機関や介護施設、医療・介護従事者の理解と協力、さらに経済的な補償がセットになっていなければならない。なぜこのオペレーションが必要なのかの説明責任を果たすはもちろん、個別の補助金ではなく、政府の命ずる医療・介護を行えば少なくとも赤字にはならないように補填する。

 オペレーションは複雑にならざるを得ないので、そこに個別にインセンティブをつけるやり方は煩雑に過ぎる。公立・公的・民間を問わず、まるごと経営保証をする方が手っ取り早い。給与水準の高い医師は別にしても、普段とは違う仕事をさせられ負担が増える医療・介護従事者への補償も手厚くする必要がある。回数限定の給付金だけでなく、もっとシンプルに例えば看護師や准看護師、看護助手、介護士らの給与を前年度実績の数倍にする(所得税を元に考えれば良いだろう)などの分かりやすい対応がなければ、離職や燃え尽き症候群を誘発しかねない。

 パンデミックを経験した医療・介護人材は日本の宝であり、彼ら・彼女らが第一線から退けば、将来の日本の医療・介護を危うくする。

 以上、システム改善のポイントを述べてきた。

 まず、政治が人びとの命を守ることを宣言し、指揮命令系統を作り、責任を取る体制を確立する。次にそのオペレーションをDMATがコーディネートし、行政、基幹病院や医師会などの関連団体を中心に、診療所を含む中小の医療機関、介護関連施設、さらに消防(救急搬送システム)、感染症の専門家などの合意を得て、情報も公開し、患者目線に立ったシームレスな医療提供体制確保を実行する。そして、このオペレーションに参加する各医療機関・介護事業者や個人に充分な経営補償や所得倍増を行う。

コロナ禍は
「災害医療」である

 大切な点なので再度強調するが、今、この医療の優先順位付=トリアージが行われていないために、通常なら助かる命が失われている。

 自宅で不本意な死を迎える人や既に入院治療が必要なのに入院先がなく、急変して運ばれる方が増えている。トリアージ=命の選別ではない。トリアージを適切にしないからこそ、黄色タッグの方が赤タッグに、赤タッグの方が黒タッグに変わっているのである。そのことを直視しなくてはならない。

 そして、新型コロナウイルス患者以外の方も含めて、同じ論理で命をお救いすることが必要である。救急車が病院にたどり着かないということは、新型コロナウイルス感染症以外の方にも生じている。これもトリアージが徹底されていないことの表れである。有事の医療、つまり災害医療(医療需要が医療提供能力を超えること)であることを政府・自治体は認識し、人びとの理解を得て、必要な行動を果断に取り、1人でも多くの救える命を救うべきである。

 これも誤解のないように記すが、日本には既に寝たきりや日常生活動作が困難なご高齢の方も多くいる。その方々に対して、問答無用で救急医療や集中治療をすることを推奨しているのではない。そういった方に限らず、ご本人がどこまでの医療を望むかは非常にデリケートで個別的な問題である。ご本人の意思表示がままならない際には、ご本人の意思を最もよく代弁し得ると思われる近親者に推定代理意思を示してもらうことも多い。

 これは何も今始まったことでなく、年に120万人もの方が亡くなる「多死社会」と呼ばれる日本で、日々、ご本人やご家族と医療・介護従事者が対話を重ね、悩みながら行われていることである。

 問題はあらゆることを考慮し、当事者間の納得いく話し合いをした上で、それでも救急・集中治療を望む方がいたときに、それを選ぶ自由さえ保証されていないという事態を避けることだ。医療資源が適正に配分されなければ、選択肢が奪われてしまうことになる。