そもそも新型コロナにより開催の是非が議論の対象となっていて、主催国の国民の約8割が開催を望んでいない状態で、なんとか五輪開催を実現しようと励んでいるところに大きな負荷をかけている。コロナ禍でのオリンピック開催はアンチノミー(二律背反)の解を求めるという難題だったが、そこに五輪開催の旗頭が五輪理念に反するという自己矛盾を生じさせてしまった。

IOC「五輪中止」というリセットも視野に

 東京五輪開催がオリンピックの新たなあり方や、コロナが分断した人と人との心をつなげていく可能性を広げるためにも必要と考える私にとって、これまでも森会長の記者会見は憂慮の絶えないものだった。

 世論が大切と言いながら、東京開催に都民・国民の心を向けるための言葉がなかった。「やるか、やらないかという議論ではなく、どうやるか。新しい五輪を考えよう」との呼びかけは理解できるのだが、人々の理解を仰ぐ組織委トップの謙虚な言葉がなければ、世論との距離が広がるばかりだ。

 このような憂慮はオリンピックファミリーの間にもあった。「森会長が日本で発言するたびに状況が悪くなる」という不満が国際オリンピック委員会(IOC)に寄せられていたという。

 バッハ会長は1月21日にIOC委員(会長を除くと102人)、22日には206もの各国の国内オリンピック委員会(NOC)、25日には30超の各国際競技連盟(IF)とリモート会議を開いて、東京五輪開催へのコンセンサスを得るべく努力したが、その際に同様のクレームが複数吐露された。

 そのような状況が続き、IOCも注視していたところで起きたのが、今回の騒動である。IOCは現在のところ森会長が釈明と謝罪の会見を開いたところで「落着」としているが、これは表向きの対応であろう。

 スポーツの自律を第一に求めるIOCにとって、組織委の人事に介入するのは無理だ。しかし、男女平等に取り組んでいるIOC委員、各国のNOC、そして各IFから批判が起こる可能性は否定できない。それが拡大して、IOCに矛先が向くことはオリンピックの持続可能性に敏感なIOCにとって捨て置けない問題となる。コロナ感染状況から国連の勧告を大義名分と受けて、東京五輪中止という選択をし、世論をリセットする可能性もあるのだ。