春日良一
東京2020組織委の高橋治之元理事の逮捕に関する一連のニュースに、世論は「オリンピックの商業主義化」にその原因を求めている。しかしかつて日本オリンピック委員会(JOC)職員として電通とオリンピックビジネスで渡り合った経験がある私には別の風景が見える。根本的な原因は日本スポーツ界の「自律」の脆弱性にあると映るのだ。

雪の結晶のモチーフに包まれた小さな聖火が静かに消え、第24回オリンピック冬季競技大会が幕を閉じた。有終の美を飾ったように見えるが、最後の問いをクリアしなければならない。果たしてスポーツによるスポーツのためのスポーツの祭典であったかという問いである。

昨夏、東京五輪があったということを忘れている人もいるのではないだろうか。1964年の五輪の頃とは異なり、日本も世界も五輪に向ける目が厳しくなっている。東京2020の意義は本当にあったのか。これからの五輪の行く末を考える。

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗前会長の辞任を受け、大混乱を経て橋本聖子氏が後任に決まった。オリンピック選手として活躍していた頃の姿も間近で見てきた身として橋本氏への思いをつづった。

コロナ禍で東京五輪・パラリンピックが開催できるかできないかの議論が、思考停止状態に陥っていたところ、また新たな難儀が降りかかってきた。森喜朗会長の女性蔑視と取れる発言である。国際社会からこれほど非難されても慰留されるのはなぜなのか。

2020年の東京オリンピックは、史上初の「延期」になった。なぜ「中止」ではないのか。そこには、長い歴史を経て構築されたオリンピックの哲学を守るためのとりでがある。2021年の開催のため、今IOCを中心に起きていることとは何か。
