火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、金・銀への欲望が世界をグローバル化した、石油に浮かぶ文明、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。化学は人類を大きく動かしている――。化学という学問の知的探求の営みを伝えると同時に、人間の夢や欲望を形にしてきた「化学」の実学として面白さを、著者の親切な文章と、図解、イラストも用いながら、やわらかく読者に届ける、白熱のサイエンスエンターテイメント『世界史は化学でできている』が発刊。発売たちまち5000部の重版となっている。
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コレラが流行したロンドンで起こったこと
コレラは、感染者の便で汚染された水や食物を口から摂ることによって感染する病気である。その原因菌のコレラ菌は一八八三年にロベルト・コッホ(一八四三~一九一〇)によって発見された。コレラ菌は、その毒素により激しい下痢や嘔吐を起こす。適切な治療をすれば死亡率は一一パーセントと低いが、そのまま治療しないと死亡率は五〇パーセントにもなり、重症の場合は、症状が現れて数時間後に死ぬこともある。
コレラ菌などの病原菌が発見される以前、コレラに限らず病気は悪い空気(瘴気、ミアズマ)を吸うことで起こると考えられていた。ミアズマはギリシア語で「不純物」「汚染」「穢れ」の意味である。
コレラは何度も大流行を起こし、多数の人々を死に至らしめた。世界的流行としては、第一次:一八一七~一八二三年、第二次:一八二六~一八三七年、第三次:一八四〇~一八六〇年、第四次:一八六三~一八七九年、第五次:一八八一~一八九六年、第六次:一八九九~一九二三年、第七次:一九六一~継続中の七回を数える。
「コレラはミアズマで起こるのではない。水にふくまれる何かが原因である」ことを、一八五五年、麻酔学者のジョン・スノー(一八一三~一八五八)が明確に証明した。
一八五〇年頃のロンドンでコレラの流行が起こっていたが、彼は水道を供給する会社によって、コレラによる死亡率が異なることに気がついた。汚染された水を供給する水道水(取水口が下流にあった)を飲んでいる家庭では、コレラの死亡率が高かったからだ。ミアズマ説では、このことを説明できない。
スノーは、一八五四年にロンドンのブロード街でコレラが流行したとき、死者が出た家と、彼らがどこの水を飲んだかを一軒一軒訪ねて調べ、地図に書き込んだ。死者を黒点で表してその分布を分析すると、ほとんどの死者がブロード街の中央にある手押し井戸付近の住民であることがわかったのだ。井戸から離れている家でコレラにかかったのは、井戸の近くの学校に通っている子どもであったり、レストランやコーヒー店の客であったりして、いずれも井戸の水を飲んでいた。
また、奇妙なことに、井戸の近くにある従業員七〇人のビール工場では、重症のコレラを発症した人はいなかった。調べてみると、工場の従業員は井戸の水は飲まずビールを飲んでいたのだ。そこで、汚染された井戸の使用を禁止にすると、コレラの流行は、ぴたりと止んだ。
十九世紀のロンドンで起こった一連の経緯は、「疫学」的方法の重要性を示している。「疫学」的方法では、集団を観察し、病気になる人とならない人の生活環境や生活習慣などの差異を検討して要因を明らかにする。後年の調査によると、この井戸近くの肥料の汚水だめにコレラ患者の糞便が混入したこと、汚水だめと井戸が九〇センチメートルしか離れていないことがわかった。