火の発見とエネルギー革命、歴史を変えたビール・ワイン・蒸留酒、金・銀への欲望が世界をグローバル化した、石油に浮かぶ文明、ドラッグの魔力、化学兵器と核兵器…。化学は人類を大きく動かしている――。化学という学問の知的探求の営みを伝えると同時に、人間の夢や欲望を形にしてきた「化学」の実学として面白さを、著者の親切な文章と、図解、イラストも用いながら、やわらかく読者に届ける、白熱のサイエンスエンターテイメント『世界史は化学でできている』が発刊された。
池谷裕二氏(脳研究者、東京大学教授)「こんなに楽しい化学の本は初めてだ。スケールが大きいのにとても身近。現実的だけど神秘的。文理が融合された多面的な“化学”に魅了されっぱなしだ」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

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古代では銀は金よりも高価だった

 銀は古くから知られた金属だ。銀色のきれいな光沢を持つ金属で、金属のなかでもっともよく電気と熱を伝える。また、金に次ぐ展性(圧縮により伸びる性質)・延性(引っ張りにより伸びる性質)を示し、一グラムの銀は一八〇〇メートル以上の銀線に伸ばすことができる。

 銀は自然銀でも産出したが、自然金よりは少ない。鉱石から取り出す必要があったがその方法は未発達であったため、金より希少性があった。

 古代の銀は、おもに方鉛鉱という鉛をふくむ鉱石から取り出した。紀元前三〇〇〇年ごろのエジプト、メソポタミアなどの遺跡からも鉛と一緒に発見されているが、金に比べて銀製品ははるかに少ない。バビロニア帝国の時代になると、銀製の壺などが出てくる。この頃は、銀のほうが金よりも高貴であるとされた。

 紀元前三六〇〇年頃のエジプトの法律によれば、金と銀との価値の比は一対二・五だったという。銀のほうが金よりも高価なので、わざわざ金に銀めっきを施した装飾品も存在していた。

 その後、鉱石から銀を取り出す技術の向上に伴い、銀鉱石からの生産が増加。結果、銀の価値は金に比べ低いものとなった。

巨大なポトシ銀山の発見

 新大陸・ヨーロッパ・アジアの経済を一つに結び付けたのが、新大陸からの安価な銀だった。一五四五年、アンデスの高原で発見されたポトシ銀山は新大陸最大の銀山になった。

 当初、七五人のスペイン人と三〇〇〇人のインディオが鉱石を掘り出したが、その後、鉱山労働者は急増し、一六〇四年にはインディオのみで六万人に達した。十六世紀末にはポトシ市の人口は一六万に及び、メキシコ市をしのぐ新世界最大の都市となった。

 また、ポトシ銀山ではスペイン人によって三大政策が導入され、一五七〇年代中葉以降「ポトシ銀山時代」とも呼ばれる一時代を画した。三大政策とは、「効率的な水銀アマルガム法という精錬法の導入(一五七四年)」「ワンカベリ水銀鉱山の購入と独占(一五七〇年)」「ミタ労働という先住民の徴用制(一八一九年廃止)」である。

 ミタ労働とは、指定された地区のインディオの十八歳から五十歳までの男子の七分の一を、一年交替ではたらかせる制度だ。賃金は支給されたが食費をまかなう程度であったため、彼らは非番の日も労働した。酷使されたインディオが激減したため、アフリカ人奴隷を連れてきて補わねばならなかった。