娘を苦しめてしまう母親たちもまた、その母からの抑圧的な、あるいは攻撃的なメッセージにさらされてきていた。
カウンセリングの中で、母に苦しめられていると訴える娘が、「そう言えば、私の母も…」と口にするケースは珍しくはなく、母親自らが、「実は…」と自分の母親からかつて受けていた理不尽な仕打ちや、満たされなかった思いを苦しげに吐き出すケースも少なくない。
つまり、母娘の間で展開されていた愛憎劇は、母親の母、あるいはそのもっと前の代から受け継がれてきた苦しみの果ての姿なのである。
その意味では、娘を苦しめる母親たちは、加害者であると同時に被害者でもある。
そして娘たちも、そのままでは被害者から加害者になるおそれを秘めた存在なのである。
母親に自分の人生をつぶされた娘の絶望や怨嗟は深い。娘のその怨嗟は、また自分の子どもへと向けられてしまうことがある。
そうして母から娘へと引き継がれてきた負の連鎖を止めなければ、母と娘の間には果てしない絶望と怒りが続いていってしまいかねない。
しかし、ここで気をつけないといけないのは、連鎖という現象全般を悪いものと思ってしまうことである。
母から娘に受け継がれるものの中には、豊かな愛情の中で育まれたよき連鎖も当然多く見られる。
たとえば、寛容な母性の中で育った思いやる心や人を自然にケアできる心こそ、母娘間で受け継がれる最も大切なものの一つではないか。
わずかでもそれが受け継がれれば、いずれのケースにおいても見られたように、娘はその心を起動させて自分の道を切り開くことが可能となるのだ。