会社の生き残り策としては仕方のないことだったとしても、東芝の生き残りには大問題が伴います。会社の所有者が入れ替わってしまったのです。

 東芝を救済するために優良部門を売却する資金だけでは足りず、結局は新しい資本を入れることになった。新しい資本にとっては、不正会計に手を染めた旧経営陣は信用できないので、現代的なガバナンス体制が組まれる。ことが回りまわって、東芝出身者ではない経営陣が東芝出身者ではない「モノいう株主たち」と対立するという、現在の状況につながっているのです。

会社はいったい誰のものか
東芝従業員はこのままでいいのか

「会社は誰のものなのか?」というと、「それは究極的には株主のものだよ」と答える人が結構、多数派です。ただしそれは、欧米流の資本主義の論理に基づいた話です。

 現実社会での影響力は小さい理論かもしれませんが、より広い経済学的には、会社はもっと多くの利害関係者の共有物であるべきだと考えます。株主や金融機関だけではなく、社員や従業員、取引先、顧客、そして社会も、会社の持ち主の重要な一部であるべきだと考えます。

 これは、昭和の時代の古い会社観に近い概念かもしれません。昔は、会社は従業員のものであって、短期の利益よりも長期的な存続こそを優先させるべきだと説かれていました。実際その考え方で、日本経済は発展してきました。その頃と比較すれば、今の東芝は極端に従業員の権利と長期的な存続を脇に置いてしまっているのではないでしょうか。

 そしてこの点を一番考えていただきたいのですが、東芝の従業員はそれでいいのでしょうか。

 わたしはTOKIOの『宙船』という歌が大好きです。中でも「おまえが消えて喜ぶ者におまえのオールをまかせるな」という歌詞は、人生においてその通りだと思っています。そして私が理解できないことは、なぜ東芝の従業員や執行役員は、東芝が消えて喜ぶ人たちに会社のオールを手渡したままなのか、ということです。