ホテルでの外資規制クリア策が財閥化への道を開く

 重光は朴大統領の要請に応えるべく、「秘園(ビウォン)プロジェクト」と名付けた韓国初の特級ホテル建設計画を始動させ、そのために結成されたプロジェクトチームは50ページにわたる報告書を作成する。その概要は以下のとおりである。

事業主体(事業対象):株式会社秘園(ソウル中区乙支路小公洞/半島ホテル、国立図書館など)
投資規模:4800万ドル(約173億円)
ホテル概要:敷地2万1460平方メートル(6503坪)、地上33階・地下3階。客室数1205室。
工事期間:32カ月

 ちなみに1965(昭和40)年に竣工した当時の日本一の超高層ビル・霞が関ビルディングが36階建てである。それと遜色ない超高層ビルを、高層ビルさえ珍しかった当時のソウルに建てようというのである。設計から施工・監理まで、日本のゼネコン主導で進めることで可能になった、重光お得意の“タイムマシーン経営”である。プロジェクトに携わった、重光の弟で四男の重光宣浩(ソンホ)は当時をこう振り返る。

「ホテル建設のために韓国史上最大のタワークレーン1号機が設置され、工事が始まると、道行く人たちがみな振り返り、『ビルというのはこんな風に建てるものなのか』と口々に話していたようです。韓国では鉄骨鉄筋コンクリート造りの高層ビルを建てるのは初めてのことでした」

 ロッテホテル設立委員会が発足したのは73(昭和48)年2月26日。3月13日には委員長の重光名義で外国人投資の認可申請書、借款契約認可申請が政府に提出された。この2つの申請は、4月25日に経済企画院外資導入委員会で決議された。5月5日に、新ホテルの運営会社である株式会社ホテルロッテ(のちにロッテホテルに社名変更)が設立された。初代社長は重光が就任したが、翌6月の11日には金東煥(キム・ドンファン)に代わった。彼は、朴大統領の右腕で当時首相を務めていた金鍾泌の第一の補佐役だったという。まさに重光と韓国政府の二人三脚でプロジェクトは進んでいた。

 ここで「外国人投資」の文言に疑問が浮上する。重光は日本に20年以上住んでいたとはいえ一貫して韓国籍だ。その重光がなぜ「外国人投資」の認可申請をしなければならなかったのか。

 これは韓国の「外資導入法」の規定に基づく。第2条には「大韓民国の国籍を保有する自然人でも外国に10年以上永住している者については『外国人に対する条項』も適用される」と明示している。資本不足に苦しんでいた韓国政府は外国資本に破格の恩恵を与えた。不動産取得税、財産税、所得税、法人税などが5年間免除され、以後3年間は50%だけ賦課される。また、韓国内の営業のために導入される資本財に対しては、関税や物品税も免除されたという。

 ただし、優遇措置と同時に、「外国人は49%以上の持ち分を保有することができない」という外資規制の関連法規が立ちはだかっていた。ロッテホテルは、日本のロッテが100%出資した会社だから、本来は、日本のロッテグループは韓国のロッテグループに経営権を行使できないはずだった。

 ところが韓国と日本の当局は超法規的措置ともいうべき法解釈でこの問題をクリアさせた。それは、
「『在日韓国人の重光武雄』が『大韓民国国民の辛格浩(シン・キョクホ)』に経営権を委任する形で100%投資が可能になる」(*3)というものである。

 これは、重光にはとても都合の良い仕組みとなる。韓国に投資した資金とその利益について、投資する時に受けた日韓政府当局から承認内容に縛られず、外資規制を受けることもなく自由に再投資することができるからだ。この仕組みは、韓国経済企画院と日本の大蔵省の承認を受けたという。

「この時の文書が『前例』となり、重光武雄は母国投資に何らの制約を受けることなく、日本に一銭の配当を行わずに韓国ロッテを拡張し続けていくことができた。このような内容の文書を官僚たちの反対にもかかわらず承認した日本の当時の大蔵大臣は福田赳夫だった」(*3)

 ここで当時の日本の政界の状況を説明しよう。韓国の朴大統領に匹敵する、重光の日本の盟友が、“昭和の妖怪”と呼ばれ、57(昭和32)年2月から60(昭和35)年7月まで首相を務めた岸信介である。日韓国交正常化後の69(昭和44)年には日韓協力委員会を立ち上げて初代会長に就いたが、その後の会長が福田赳夫で、岸派を引き継いで76(昭和51)年に総理となった。福田は重光の二男である辛東彬(シン・ドンビン/重光昭夫)の仲人を務めるほど重光家と親密な関係を築いていった(『ロッテを創った男 重光武雄論』より)。

 こうして重光は、韓国に投資するときは“外国人”「重光武雄」として外資優遇措置を受け、外資に課される経営や資本の規制は韓国人「辛格浩」として免除されるという魔法の杖を手に入れたのである。「2つの名前を持つ男」として、日本に帰化することなく生涯を終えたカリスマ経営者の本領発揮とでも言うべきだろうか。ホテル建設のために、日本から投資した資金を韓国での事業拡大に再投資し続けられる仕組みができたことで、ロッテグループは財閥として成長する端緒をつかんだのである。

*3 鄭淳台『辛格浩の秘密』(未訳)