コロナ禍による世界の混乱にはまだ出口が見えないが、2023年に開催されるラグビーワールドカップ・フランス大会に向けての準備は、着実に進んでいる。3月に発売が開始されたチケットは売れ行きも好調で、4月12日には日本代表の候補メンバーも発表された。

先行き不透明な中でも世界中のラグビーファンは、いまから2年後の夢の舞台を楽しみにしているが、日本代表の試合でとりわけ注目を集めそうなのが、イングランド代表との一戦だ。そのイングランド代表を率いるヘッドコーチの名は、エディー・ジョーンズ。世界に名だたるプロコーチとしての彼の功績は、わたしたちの記憶にも鮮烈に刻まれている。

そんな彼が初の自叙伝となる『エディー・ジョーンズ わが人生とラグビー』を上梓した。イングランド史上初の外国人監督となったエディー・ジョーンズへ向けられる目線は、かならずしも温かなものばかりではなかったが、この本は発売されるとすぐにイギリスで大ベストセラーとなった。本の中で明かされたエディー・ジョーンズという人間の真摯さとし烈さは、驚きと尊敬を持って受け止められたのだ。物語はあの、「ブライトンの奇跡」からはじまる。

本には何人もの日本人選手が登場するが、エディーが日本代表のキャプテンに指名した廣瀬俊朗さんもそのひとりだ。そこで本稿では、コーチとしてのエディーをもっともよく知る選手の一人だった廣瀬氏に、『エディー・ジョーンズ わが人生とラグビー』を読んだ感想を聞いた。

エディー・ジョーンズが語るその半生が心を打つ理由東芝時代の廣瀬さん(中央)

イギリスで大ベストセラーに

――『エディー・ジョーンズ わが人生とラグビー』は、エディーさんが3年の月日をかけて書き上げた本です。イギリスで大ベストセラーになり、アマゾンではレビューが約1500件、平均4.7という高評価を受ける話題作となりました。本を手に取った感想は?

エディー・ジョーンズが語るその半生が心を打つ理由廣瀬俊朗(ひろせ・としあき)
元ラグビー日本代表キャプテン。株式会社HiRAKU代表取締役、ラグビーワールドカップ2019公式アンバサダー。1981年、大阪府生まれ。大阪府立北野高校卒業後、慶應義塾大学理工学部に入学。高校日本代表、U19日本代表を歴任。その後、東芝ブレイブルーパスに入団。2007年に日本代表選手に選出され、12年から13年までキャプテンを務める。ポジションはスタンドオフ、ウイング。16年より大前研一氏が学長を務める通学不要・100%オンラインで経営管理修士(MBA)を取得できる日本初の経営大学院として04年11月に文部科学省より専門職大学院の設置認可を受けた「ビジネス・ブレークスルー大学大学院」で経営を学び、経営管理修士(MBA)を取得。その後「ビジネス・ブレークスルー アスリートアンバサダー」に就任。2020年10月より日本テレビ系ニュース番組『news zero』に木曜パートナーとして出演中。近著に『ラグビー知的観戦のすすめ』(角川新書)など

廣瀬俊朗(以下、廣瀬) まず本を見て、「現役時代に何度この顔を見たことか」と思いました。表紙がエディーさんのどアップになっているので、表紙の写真を撮ってマイケル・リーチに送ったら、「僕も何回も見ました」って(笑)。真壁選手(真壁伸弥さん)もこれを見て心拍数上がりましたなんて言って、みんなで盛り上がりました。

 本は500ページくらいあるのですごいボリュームだなと思ったんですが、読み始めるとガーっと引き込まれて、エディーさんの苦悩や失敗が包み隠さず語られているところがなんかいいなと。成功というよりは、成長の過程が語られているところが面白いと思って読みました。

「はらわたが煮えくりかえった」ウェールズ戦

――本には、2013年に廣瀬さんがキャプテンとして先発出場したウェールズ戦での歴史的な勝利についてのエピソードも登場します。

廣瀬 2013年6月15日の試合ですね。ウェールズ戦は2試合あったんですが、大阪で行われた1試合目も、「もしかしたら勝てるかもしれない」というような試合だったのに、落としてしまったんです。花園にはお客さんがたくさん集まってくださって、めちゃくちゃ期待されていることを感じていたので、次の試合は絶対に日本で勝って、日本のラグビーが変わりつつあることをみなさんと共有したい、そのためにも勝ちたいっていう思いがあったんです。個人的にもずっと怪我してる中での久々の復帰戦だったので、この試合でしっかりパフォーマンス出さないとこの先ないなっていう緊張感もありました。

――エディーさんは本の中で、勝てる可能性があった1戦目で負けたとき、「内心はらわたが煮えくりかえる思いだった」と言っていますが、2戦目のウェールズ戦で勝利したことが2015年の「ブライトンの奇跡」につながるスタートになったのでしょうか?

廣瀬 1つのターニングポイントになったとは思います。日本で勝って、「日本ラグビーは変わってきている」ということをファンのみなさんに体感していただけたことは大きかったですね。

 ただそれがスタートだったのかって言うと、その前の年に、ヨーロッパで行われたテストマッチとしては初となる勝利をルーマニア戦でおさめ、その後のジョージアにも勝っていたので、「旅の途中にある大きな山をまた1つ登った」というような感覚でした。

プロコーチのスタートは東海大学

――日本代表を世界と戦えるチームへと導いてきたエディーさんの、プロコーチとしてのスタートが東海大学だったことにあらためて日本との深い縁を感じます。エディーさんが日本ラグビーに与えた影響は大きかったのでしょうか?

廣瀬 ジョン・カーワンという前監督のときから、僕たちもいろいろな強化はしてきたんですが、なかなか結果を出せずにいたんです。日本人らしいあり方、戦い方っていったい何だろうっていうことが見えていなかった中で、エディーさんが「こういう戦い方が日本には合っていて、自分たちには大きな可能性があるんだよ」ということを教えてくれた。実際にいいトレーニングをすると結果もついてきて、僕たちのマインドセットが変わっていったことがとても大きかったんじゃないかと思います。

――最初の合宿が掛川で行われたとき、そのハードワークにちょっと驚かれたそうですね。

廣瀬 それまでのチームでは1回の練習が2時間くらいで、それをそれなりのインテンシティでやるっていう感じだったんですけど、エディーさんは1日に4回とか5回の練習をやる。1回の練習は1時間ぐらいだけど、それをすごいインテンシティでやるんです。

 スケジュールを見ると朝の8時とか9時に「スリープ」って書いてある。最初は何のことかよくわからなかったんですが、トレーニング、ご飯を食べる、寝るっていうのを高速回転しまくるような練習の組み立て方をする。そんな1日のスケジュールを見たことがなかったので、こんなふうにチームを強くしていくんだってことに驚きました。