そして、冒頭のツイートにつながる。オッカム教授によれば、国際会議で専門用語だらけの難易度の高い通訳を見事に行った通訳者はすべて女性で、「東大やICUを卒業した専業主婦」だった。これについてオッカム教授は、「セレブバイト」と表現し、衝撃と畏怖の対象だったということなのだ。

 さらに、ツイートは続き、「彼女らは比較的余裕で超一流大学に入り、普通に教養を積み、しかしキャリアをガリガリ重ねることには関心がなく、恐ろしく給料の高い旦那のパートナーとして読書し語学を磨き子育てしている。雲の上より私には高かったです」とも記している。彼女たちの夫を研究でしのぐことはできるかもしれないが、高学歴と高い語学力を持ちながらキャリア志向のない妻を迎えることは、自分には想像もできなかったと書いている。

地方と都会の教育・経済格差への指摘だったはずが…

 オッカム教授の意図としては、一流大学に入るだけの知的階級でありながら、その学歴と能力をキャリアに生かすことはないという層の存在は、地方出身者からすると驚愕に値するということなのだろう。続くツイートで「東京にとんでもない階級がいるという話をしている」とご本人が書いていることからもこれは明らかだ。

 学歴はその後のキャリアにつながる場合が多いが、一方で高い学歴を持ちながら「専業主婦(あるいは専業主夫)」となる人もいる。その場合、経済的余裕があるからと考えるのが普通である。経済的にも知的にも、あるいは生まれながらの環境的にも豊かな水準でいる人たちの「余裕」について、オッカム教授は想像もできなかったと感慨を持っているのだろう。

 一見して問題なさそうに思われるが、この一連のツイートは、一部から違和感をもって受け止められた。筆者も違和感を抱いた側である。

 言いたいことは、地方出身者の悲哀・葛藤であり、個人の体験から、地方と都会の教育・経済格差を語ったものだということはわかる。しかし、「セレブバイト」「キャリアをガリガリ重ねることには関心がなく」などの言葉選びに、うまくのみ込めないものを感じた。