【教訓その3】
自由な経営にとって「上場」のコストは高い

 今や、東芝の株主や投資家一般は東芝に対して「怒っている」に違いないのだが、視点を変えてみよう。東芝を自分の利害にとって都合良く経営したい経営者や、民間会社のまま国策に協力させたい経産省などにとって、東芝が上場企業であることは適切なのだろうか。

 上場企業は、株主だけでなく投資家一般に対する情報提供を公平かつ迅速に行わなければならない建前だ。そしてもちろん、特定の株主の利益を増進することも、損なうことも行うべきではない。

 経産省は現時点で、防衛などの点で国策上重要な企業の経営に同省が関与することがあるのは当然だと半ば開き直っている。だが、上場会社の株主に対して不公平が生じる関与を行っていいとは思えない。驚く読者がおられるかもしれないが、実は、経産省は上場企業のコーポレートガバナンス改革を主導する立場の官庁なのだ。

 百歩譲って「東芝は特別な会社なのだから、われわれが経営に介入することがあってもいいはずだ」という経産省の言い分を認めるとしよう。そうだとしても、上場会社である東芝の株主にとって、そのことは事前に明らかでなければならなかったはずだ。

 競馬で言うなら、「このレースでは国策による八百長があるかもしれないことを含んだ上で馬券を買ってください」と宣言するのが、主催者の最低限の良心だろう。

 経産省に関しては、少なくともこの人たちにコーポレートガバナンスを語る資格はないと強く感じる。

 東芝を自由に操りたい人々にとって、株式の「上場」は余計なのではないか。一方の投資家にとっては、株主総会でさえ八百長をやりかねない人々の存在が余計だ。

 東芝は、非上場の「国策東芝」と、クリーンな上場企業の「民間東芝」に事業分割するといいのではないか。後者が、前者のために利用される今の状況は健全でない。

 なお東芝の経営問題は、狭くは東芝の株主、広く見ても投資家一般にとっての問題だが、上場企業の経営に隠れて介入するような腐敗した官庁が存在することは、広く国民全体にとっての問題だ。東芝経営陣の責任よりも、経産省の関与の実態解明と責任の明確化の方がはるかに重要な問題だろう。