文科省が進める「生命の安全教育」、性教育と言えないのはなぜ?Photo:PIXTA

今年から公立学校で試験的にスタートしている「生命(いのち)の安全教育」。性犯罪・性暴力の被害者にも加害者にもならないための教育であり、中身は「性の安全教育」だが、そのように名付けられていない。識者は、2000年代の性教育バッシングの影響が今も残ると指摘する。(フリーライター 小川たまか)

中身は「性」なのに、なぜ「生命」と呼ぶのか

 公立校で「生命(いのち)の安全教育」が始まりつつあることをご存じだろうか。文部科学省(以下、文科省)では2021年から複数の学校での実証を行い、2023年には全国の小中高において普及・展開を図る予定だ。

 「生命(いのち)の安全教育」と聞くだけでは、その内容を推測できる人は少ないだろう。文科省の説明を読めば、これは明確に、性犯罪・性暴力を防ぐための教育であることが分かる。子どもたちを、性暴力の被害者にも加害者にもしないための教育を目指すとされている。

 しかしそれではなぜ、「性教育」や「性に関する安全教育」とはせずに言葉を選んだのだろうか。

 この背景には、2000年代に行われた性教育への激しいバックラッシュ(反動)や、保守議員に根強い性教育への抵抗感があると指摘されている。(参照:政治家のジェンダー意識改革を止めた?2000年代の「バックラッシュ」とは

 とはいえ、性教育の「暗黒時代」からようやく一歩を踏み出したとはいえる。日本の性教育の過去と現在について、一般社団法人“人間と性”教育研究協議会代表幹事で、複数の大学でセクソロジーに関する講座を担当してきた経験を持つ水野哲夫氏に話を聞いた。