橋本新会長に代わり、新しく男女共同参画相に就任した丸川珠代氏は、夫婦別姓反対を呼びかける書状に名前を連ねていたことが批判されている。

 二階氏の言う通り、日本に建前での「男女平等」はあるかもしれない。だから政治家たちは本音を隠して言葉を選び、たまに本音を隠しきれず失言してしまう。

 一部の政治家たちが時代に合わせてジェンダーにまつわる問題を捉え直し、感覚のアップデートをできないのはなぜなのか。そのヒントの一つが、2000年代にあった「バックラッシュ(反動)」にあるように思う。

「ジェンダー」や性教育が
攻撃された2000年代のバックラッシュとは?

 80年~90年代、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会基本法が施行され、全国の自治体でも「男女共同参画」に関する講座が開かれるようになった。

 しかし2000年代に入ると、このような流れに対抗するバッシングが盛んになったのだ。この運動をバックラッシュという。

 男女共同参画の取り組みが攻撃の対象となり、たとえば「ジェンダー」という言葉が徹底してタブー視された。最近になるまで使いづらかったと語る行政やメディアの関係者もいる。

 さらに保守派議員らによって、性教育がバッシングにさらされた。養護学校(現・特別支援学校)で障害のある児童に性教育を行っていた教員が処分された「七生養護学校事件」は、日本の性教育を著しく後退させたと言われる。

 しかし、このようなバックラッシュは、性教育の関係者あるいはフェミニスト以外の人にはあまり知られていない。

 バックラッシュは、なぜ起きたのか。また、バックラッシュを主導していたのは「誰」だったのか。『社会運動の戸惑い――フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』の共同執筆者のひとり、文化人類学者の山口智美さんに話を聞いた。