株主優待名人として人気の桐谷広人さん。そんな桐谷さんの株の入門書が日本株版と米国株版が2冊同時に発売され、好評発売中です。バブル崩壊で1億円を減らした後も根気強く株を続けた桐谷さん。その後のITバブルで資産が回復しかけたと思ったら、次に桐谷さんを待ち構えていたのはリーマンショックでした……。
57歳で棋士を引退、遊んで暮らすはずが……
――バブル崩壊で痛い目に合われた後も株は続けたんですね。
桐谷さん:バブル崩壊後、1年くらい株をやめてたんですよ。でも、相場がちょっと戻ってくると、また何となくやりたくなって、またやりまして。
で、まあ儲かったり損したりして、少しずつまた儲けていったんですけども、1997年に山一証券が潰れるという大変なことが起きまして。金融危機です。私の山一証券の株券が全部紙切れになったんですけども。ある先輩の一流棋士の人は北海道拓殖銀行の株を大量に持ってたんで、その人もいっぺんに貧乏になったりしましてね。本当に大変な目に合って……。
そのあと、しばらく株をやるのを我慢してたら、ITバブルというのが始まりましてね、2000年に。持っている富士通とかいろんな株がまたどんどん上がっていったんです。まあ買値までは戻らないけれど、それでちょっと一息ついたりしました。
――ITバブルで資産は少し回復できたんですね。
桐谷さん:そしたら、そのあと、2003年の春にりそな銀行が破綻しまして。持っているりそな銀行株が紙切れになるのかなと思っていたら、公的資金を入れて上場は続けたんです。そこから日本株がまた元気になりました。
で、まあまたどんどん儲かって、バブルの時の損を回復しました。私は、2007年に将棋を引退するんですけれども。その時57歳で、株券がすでに3億円くらいありました。その時はもうあとは一生遊んで暮らせるなと思ったんですね。で、遊んで暮らせば良かったんですけれども、また欲が出てですね……。
将棋の勉強もしなくていいから、株の勉強をして3億を30億に増やそうと思っちゃったんです。で、どんどんどんどん信用で買っていったらですね、なんとリーマンショックが起きてしまいまして、本当に大損しまして。で、汗水流して働いたお金もかなり失いましてね、もう老後どうしようかなっ、ていうことになりまして……。
――また金融ショックに見舞われた?
桐谷さん:2008年の9月15日。私、その時、広島県竹原市の田舎に帰ってまして、父親や妹たちとお好み焼き屋で、お好み焼きを食べてたら、テレビでリーマンが潰れたというニュースが流れたんです。
その時に、私は信用取引の評価損が2千数百万円あったんです。月曜日が祭日で、火曜日の朝、「これは株が下がるぞ」と思っていたんです。だから、もっと評価損が膨らんでしまうと思ったから、「その二千数百万の株を売って、それを穴埋めして信用取引をやめなきゃいけない」と思っていたんですよね。なのに、朝の8時40分ぐらいに、ネットのコラムで「大逆転の好機」っていう見出しで、「米国株は下がるけど、日本株は上がる」って書いてあったんです。
その理由としては、「野村證券が潰れたアジアのリーマンの支店を買い取って、三菱UFJ銀行が潰れそうなアメリカの銀行に融資する。だから日本株は上がる」って言うんですね。
それを読んだのが良くなかったんです。それで、バンバンバンバン買いに行ったら、どんどんどんどん下がっていったという……。
――その記事を信じてしまったのですね。
桐谷さん:まあその記事を見なきゃ良かったんですが、その記事を見たおかげで優待生活をせざるを得なくなって、テレビで人気が出た。まあ、本当に人間が万事塞翁が馬で。あのときの大損がなかったら、今の私はなかったんでね。単なる小金持ちのじいさんだった。
(次の第7回から、株主優待生活のはじまりはじまり!)
<桐谷さんの人生逆転エピソードはYouTubeでも公開中>【桐谷さん激白①】昔は極貧だった!?見習い棋士時代の苦労秘話/究極の優待投資家になるまで
1949年10月15日、広島県竹原市生まれ。365日株主優待と配当で生計を立てる投資家。プロ棋士七段。バブル絶頂期の1984年に株を始め、バブル崩壊やITバブル、リーマンショックなど相場の浮き沈みを経験。資産は4億円目前。近著に『一番売れてる月刊マネー誌ザイと作った桐谷さんの株入門』『一番売れてる月刊マネー誌ザイと作った桐谷さんの米国株入門』の2冊が好評発売中。