それらを少し拾い出してみると、看護学生のケースでは、「実習先で接種が望ましいとなり、学校で一斉に接種を強制されている。『拒否するなら実習ができない可能性があり、単位取得できない』と言われた」。

 医師では、「ワクチンの安全性に疑問があり、都道府県からの接種協力要請に反対したところ、医療法人理事長から病院長を解任された」。

 また介護施設職員からは、「職場から『ワクチン接種は義務的』『打ちたくないのであれば、ここでは働けない(事実上クビ)』と言われている」。

 医療関係者では、「職場にワクチンを『受ける』『受けない』にチェックする表が張り出されている(『受けない』にチェックできる空気ではない)」――といった声が寄せられた。

 いずれもハラスメントというより、退学や解任や解雇やプライバシー権の侵害など、違法行為が疑われるような深刻な問題が起きていることが分かる。

 ホットラインが開設されたのは5月だったが、その後、大企業や大学などでの職域接種が始まったなかでこうした問題はさらに増えている。

強い同調圧力が働く背景に
日本独特の「世間のルール」

 相談を担当した川上詩朗弁護士は、「接種はだれのためにあるのか。まずは自分の身を守るためにあるはずだが、『他人に感染させないために打て』という同調圧力が働いている」と指摘する。

 この同調圧力はいったいどこからくるのか?

 私はこの問題が厄介なのは、その根底に、現在の欧米には存在しない日本独特の「世間」があるからだと考えている。

 では「世間」とは何か。日本は先進国のなかでは、きわめて古い文物を残す唯一の国である。「世間」は人間関係のあり方を示すコトバだが、『万葉集』以来の1000年以上の古い歴史がある。

「世間」には、「法のルール」のように成文化はされていないが、たくさんの「世間のルール」があり、日本人は「世間を離れては生きてゆけない」と固く信じているが故に、これをじつに生真面目に守っている。

 意外に思われるかもしれないが、「世間」のような人間関係は12世紀前後までヨーロッパにも存在した。だが、その後の都市化やキリスト教の浸透などによって「世間」は解体し、「法のルール」を構成原理とするsocietyが新たに生まれた。

 日本には1877年頃、このsocietyというコトバが輸入され「社会」と翻訳された。しかし、伝統的な「世間」が解体されずに残ったために、社会の構成原理である「法のルール」はタテマエとみなされ、「世間のルール」こそがホンネとして機能するという奇妙な二重構造に支配されることになった。