誰かの「目」の代わりに
なれるのではないか
カメラを取り出したのは、記録をしよう、というよりも、「誰かの目の代わりになることができるのかもしれない」という気づきがあったからです。
2011年の4月のはじめ、ボランティアで伺った岩手県宮古市の小学校の避難所で、あるおばあちゃんに出会いました。
話を聞くと、彼女のご実家は宮古より北にある島越と言う小さな集落とのこと。
おばあちゃんは、「(私がいた集落は)津波で避難所も流されたという話を聞いたのだけど、自分も家を流されてしまったし、その惨状は今は辛くて見れない。だからあなたたちが代わりに見て、撮っておいて」というようなことを話されました。
実は私たち、写真や映像の勉強をしてきたのにもかかわらず、ボランティアを始めたばかりの頃は、カメラを取り出すことができずにいました。カメラを向けることの凶暴さや身勝手さが怖くなってしまっていたのです。
だけどそうやって少しでも役に立つこともあるのかもと思い、今の状況を代わりに見て、撮っておこうと考えました。