東日本大震災から1年と半年が経過しました。震災からの復旧・復興についての報道が少なくなるなか、引き続き、被災した現地では、様々なところで懸命な取り組みが行われています。
本「復興通信」の第1回では、岩手県陸前高田市の久保田副市長から、住宅問題が現下の最大の課題である点や、とはいえ事業がなかなか進まない背景、また、情報発信についての取り組みについてお話をいただきました。第2回の大船渡市の角田副市長からは、阪神・淡路大震災との差異や、中心市街地や地域医療の再生といった課題、東北とそれ以外の意識の格差についてお話をいただきました。本稿では、具体的な取り組みも含め、暮らしと産業の再建に向けた釜石市の今をお伝えできればと思います。
産業遺産と大自然の街に
ガレキ撤去後の更地が広がる
釜石市は、陸前高田市・大船渡市と同様に、岩手県の三陸沿岸に位置する地方都市です。今から150年以上前の江戸時代末期、日本で最初の洋式高炉による出銑に成功した近代製鉄発祥の地です。高炉跡などの産業遺産や、日本で3番目に鉄道の敷設が完成、といったエピソードが市内のあちこちに広がり、一方、市全体は風光明媚な海と森林に囲まれているという、ノスタルジーと大自然とが混じり合った、なんとも魅力的な街です。
この人口4万人弱の釜石市が、震災により、死者・行方不明者の合計は1042人、被災家屋は約4700戸(市全体の3割)、浸水した事業所数は約1400事業所(市全体の6割)に及ぶなど、壊滅的な被害を受けました。写真は、被災直後と現在の市街地の様子です。市街地は、ガレキを撤去した後の更地と事業再開した店舗の虫食いとなっており、地域の方々からは、市の土地利用計画の遅れに対するお叱りをいただいています。