転職サイト「ビズリーチ」などを運営する巨大スタートアップ、ビジョナル。『突き抜けるまで問い続けろ』では創業後の挫折と奮闘、急成長を描いています。「ビズリーチ」の名前を捨てる――。2018年、ビズリーチ創業者の南壮一郎さんは、グループ経営体制への移行を決断し、新会社のブランド構築をクリエイティブディレクターの小西利行氏に託しました。博報堂出身のクリエイターで2006年に独立、POOLという会社を経営している小西さん。トヨタ自動車やサントリーといった大手企業の広告のコピー制作を始め、ブランド戦略やマーケティング、企業アイデンティティのコンサルティングなど、企業メッセージを的確に伝えるプロとして幅広く活動しています。小西さんに、「ビジョナル」という企業ブランドが生まれるまでの舞台裏について聞きました。
■POOL小西利行が見たビジョナルのグループ経営移行01回目▶「「ビジョンはいらない」ビズリーチ創業陣が持ち株会社化でこう主張したワケ」
――ビズリーチの体制を持ち株会社化するに当たって、創業者の南壮一郎氏は、小西さんに新しい企業ブランドをつくって欲しいと依頼しました。そして小西さんが創業経営者らに話を聞くと、彼らは口をそろえて「ビジョンはつくりたくない」と言ったそうですね。自分たちの事業を特定領域に限定したくはない、と。それまでにないユニークな考え方ですね。
小西利行さん(以下、小西) 「ビズリーチ」という事業やブランドに固執しないなら、どんな形がいいのかというなかで、いろいろなアイデアを検討しました。あるときは、課題を国に見立てたらどうかということになって、「ビズリーチ・ネーション」なんてどうか、という話にもなりました。
だけど、これは却下されたんです。なぜかというと、課題を国として捉えてしまうと、どうしても「解決=征服」というイメージになってしまう。それは本意ではない、と言うんです。自分たちは、課題を解決してみんなに喜んでもらいたい。上から目線で攻略していくわけではないから、やっぱりネーションではないと。
そうした議論の中から、彼らはすべての課題をフラットに見て、そこをどんどん解決していく集団を目指していきたい、ということが段々と分かってきたんです。つまり、一つのビジョンに固執するのではなくて、いろいろな課題に次々と挑戦していく行為そのものがビジョンではないか、と。
結果的に、現在のビジョナルに付随するスローガン「新しい可能性を、次々と」につながるんですが、すべて可能性だと見て、それを次々と実現することがビジョンだということを掲げる会社になりました。すごく手の広い会社を目指すということです。
――あえてグループとしてのビジョンは掲げていないのは、そうした理由からなんですね。
小西 持ち株会社の位置づけを定める上で大きかったのは、プロジェクトに入ってもらった、ビズリーチのロゴなどを手掛けたデザイナーの遠藤大輔さんのひらめきです。
彼があるとき、「ホールディングス・アズ・ア・プラットフォーム」という言葉をつぶやいたんです。普通、グループ経営を統率する持ち株会社って、図を描くと、グループの頂点に君して全体を司るじゃないですか。そして「事業会社は俺たちの言うことに従え」という暗黙のルールでグループ経営を成り立たせている。
ところがビジョナルは違う。つまり、三角形の頂点に君臨するのではなくて、三角形を逆転させたときの下に存在して、事業会社を下から支える。自分たちは陰に徹して、いろいろなリソースを提供し、事業会社が取り組む課題を解決するための支援をする。
僕自身は、これはすごい発想転換だなと思って聞いていました。この「ホールディングス・アズ・ア・プラットフォーム」という考え方を、創業メンバーと握れたときは、「うわー、やったー」と喜んだ記憶があります。
時代が変われば自分たちのやりたいことも変わる。ゆえに一つの領域に事業を定めない。それ自体をビジョンにしてしまった会社はユニークですよね。
――会社として飽くなき成長を志向する意志が現れているわけですね。
小西 考えてみれば、南さんも似ている気がします。一ヵ所にずっと留まらないという強い覚悟を感じますし。ビズリーチをある程度大きく成長させて、一つすごいものをつくったから、あとは悠々自適にやろうというぶらさがり感覚はゼロなんです。
それでもなお押し上げてくる感覚しかない。ビズリーチも成長したけれど、ほかの事業も自分が後ろから押していこう、という意欲にみなぎっている。
やっぱり南さんは、エクスプローラー(冒険者)であり、パイオニア(開拓者)なんだと思います。その意識が明確だからこそ、ビジョナルというグループ経営体制になっても、強い意志を感じるし、次々と新しい挑戦ができるんでしょうね。