転職サイト「ビズリーチ」などを運営する巨大スタートアップ、ビジョナル。『突き抜けるまで問い続けろ』では創業後の挫折と奮闘、急成長を描いています。ビズリーチの急成長を支えてきたのが「問いを立てる力」と「問い抜く力」です。ではなぜ、「問いを立てる力」が必要なのでしょうか。本書に収録した学校法人ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン代表理事、小林りんさんの解説文を抜粋して紹介します。

■小林りん氏が解説「問いを立てる力」01回目▶「ビズリーチ創業者南壮一郎氏を突き動かした「内なる問い」と「外向きの問い」」

成長する人と成長しない人のたった一つの違い『突き抜けるまで問い続けろ』の解説文を執筆した学校法人ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン代表理事の小林りんさん(写真左)とビズリーチ創業者の南壮一郎さん(写真右)は、モルガン・スタンレー時代の同僚であり、20年以上の友人でもある。

 なぜ、問いが大切なのか

 スイミー(編集注:ビジョナル創業者の南壮一郎のこと)の問いを立てる力については『突き抜けるまで問い続けろ』に譲るが、ここではなぜ今、問いを立てる力が大切なのかについて少し述べたい。

 日本の教育は長らく、問題を解く力が大切だという考えが支配的だった。

 人から与えられた問題、あるいは既にある問題をいかに早く、正確に解くか。スピードと正確性に優れた人が優秀だと規定してきた。

 実際、経済が成長する局面では課題解決能力の高い人が活躍するのは理に適っていた。組織が成長する過程では、課題が次々に生まれてくる。それを遅滞なく、的確に解ける人は貴重であり、厚遇もされた。あらゆる組織において、与えられた課題を解く能力の高い人が評価され、出世した時代であったように思う。

 ところが、この20年で時代は大きく変わった。

 少子高齢化、技術の進化、市場の成熟といった様々な要因によって、これまでと同じように与えられた課題を解くだけでは、正解に辿り着けなくなってしまったのだ。

 例えば、自動車メーカー。従来なら「安全で燃費の良いクルマをできるだけ効率的に大量に生産するにはどうすればいいのか」という明確な問いがあり、社員が一丸となって、その答えを探すことが会社の使命だった。

 ところが、今は状況がまるで違う。

 気候変動をはじめとした環境保護の観点が重視され始めると、ガソリンに代わる燃料を模索せざるを得ず、水素なのか、電気なのか、そこには明確な答えがまだ出ていない。はたまたインターネットやAI(人工知能)といった情報技術の急速な発展に伴い、コネクテッドカーが注目を浴び始めると、テクノロジー系の会社が自動車製造に参入し始めてきた。これまでとは全く異なる次元の課題に向き合わざるを得なくなっている。

 これらの問いには正解がない。そして、そもそも解かれるべき問題は何なのかさえ、時代の変化のスピードと共に見極めることが難しくなってきている。

 唯一できるのは、次々と仮説を立てて試していくことだけだ。失敗することもあるかもしれない。しかし、かつて松下幸之助氏が言ったように、「成功する人は、あきらめない人」なのだとすれば、そして、あきらめるまで自分を奮い立たせるものが「内なる問い」なのだとすれば――。やはり、「内なる問い」と「外向きの問い」が一致している必要がある。

 同じことは、企業だけでなく個人にも言える。

「次はこれを解いて。その次はこれ」といった具合に、これまでの社会や組織では基本的に、問題は誰かから与えられることが前提だったように思う。

 だが今の時代は、社会や組織を率いている人でさえ、次にどのような問題を解けばいいのか分からなくなっている。右肩上がりの成長路線だった時代とは異なり、既往路線を踏襲した先には未来がないからだ。年齢や経験を重ねていることが、時代の先を読む際に邪魔をすることもある。個人も「今、どんな問いを解くべきか」を考え、「どんな問いを解きたいか」を自らに問い、提案し行動する姿勢が求められる。

 変化は早く、ドラスティックだ。

 次にどんな問題を解くべきなのか、常に先を読んで動き続けなくてはならない。だからこそ、自分で主体的に動き、自律的に問いを立てる力が、ますます大事になってくる。

 見方を変えれば、この力を養い個の力を鍛えれば、成長する機会は次々と巡ってくる。

 ソーシャル・ネットワークなどが発達する現代社会では、会社や組織といった既存の枠組みを超えて急速に個が有機的につながり始めている。組織から個人へのパワーシフトは進んでいく。問いを立てる力を持つ個人とそうでない人では、成長に大きな差が生まれていく。

 だからこそ、問いを立てる力はこれからの時代を生きるビジネスパーソンにとって、誰もが備えるべき必須の素養になると私は考えている。

生み出すのではなく、解き放つ

 こんな話をすると、決まって受ける質問がある。

「私には、問いを立てる力などない」「自分がやりたいことが分からない」――。

 問いとは、決して新しく生み出すものではない。自分の中に既に存在するものだ。

 小学生や幼児のころを思い出してほしい。

 あなたが、何時間も熱中し続けていられることはなかっただろうか。

 人間には誰しも、心の底から好きなものが存在する。しかし、中学、高校、大学と教育を受ける過程で、多くの人は大好きなことを考える時間がなくなり、自分が好きだと思っていたことも忘れてしまう。

 だから、私はいつも「それが何だったか、思い出してごらん」と助言している。

 私とスイミーの共通点は、もしかしたら互いにこのワクワクやドキドキを忘れていないことかもしれない。

 誰しも本来、そのことを考え出したら楽しくて仕方ないような好きなことが、あるいは夜も眠れないほど憤りを感じる社会課題が、あるはずなのだ。それをいかに思い出し、自分の力を解き放てるかがカギになる。
(2021年7月31日公開記事に続く)