87年前の1934年9月5日、現在の地下鉄銀座線渋谷~新橋間を建設した私鉄「東京高速鉄道」が設立された。この時、東京高速鉄道の経営に参画したのが東急グループの創始者として知られる五島慶太である。五島はなぜ東京高速鉄道に加わったのか。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
五島慶太が鉄道省を退官し
鉄道会社に入社した理由
五島は1882年に長野県の山奥に生まれた。高等師範学校(現在の筑波大学の前身のひとつ)を卒業して一度は教師になるも、帝国大学(現在の東京大学)に入り直し、29歳で官僚に転身した異色の経歴の持ち主だ。
ところが官僚生活9年目となった1920年、38歳の時に鉄道省を退官し武蔵電気鉄道の常務に就任する。武蔵電気鉄道は後に東京横浜電鉄に改称して、現在の東急東横線を開業させた鉄道会社である。五島が武蔵電気鉄道を選んだのは、同社が目黒~有楽町間の地下鉄免許を保有していたからだ。
当時、東京の市内交通は主に路面電車が担っていたが、激しい混雑が問題となっていた。五島はこの問題の改善、つまり地下鉄の建設を官僚時代から研究していたと語っており、武蔵電気鉄道への参画はそれを自らの手で成し遂げようという決意だった。
常務就任の抱負を問われた五島は「地下鉄道完成を以て目的としている」と答え、「今度はお日様に顔見せずに地下ばかりでもぐらとは仲良しになる」と地下鉄実現に強い意欲を示している。