イスラム教徒の若者たちの間で
高まるビンラディンの人気

 それにしても乗客が乗った民間航空機でアメリカの軍事、政治、経済の中枢を攻撃するという空前絶後の作戦はどのようにして発案されたのか。

 実は事件発生の数年前、アルカーイダ幹部のハリド・シェイク・ムハンマドとビンラディンがひそかに構想を話し合っていたことが明らかになっている。

 93年2月に地下駐車場で手製爆弾を爆発させて世界貿易センタービルを倒壊させようとしたが失敗した。そこでムハンマドは燃料を満タンに積んだ飛行機をミサイル代わりにして複数の標的に突っ込ませる方法を思いついたという。当初の計画は、アジアで11機の旅客機をハイジャックして、米本土を狙うシナリオだったというから背筋が寒くなる。

 ビンラディンもその計画に賛同し、留学生を装った実行犯をアメリカの飛行訓練学校に送り出して周到に準備を進めた。そして前代未聞の同時多発テロが実行に移されたのである。

 一方、ビンラディンは事件後程なくして「私はこの行為をやっていない」との声明を発表して関与を否定し、姿を消した。

 米政府の必死の捕獲作戦でもビンラディンは見つからず、一時は死亡説も流れた。捜索は2009年にオバマ政権に移った後も続いた。そしてついにハリド・シェイク・ムハンマドを逮捕し、拷問の末にビンラディンの隠れ家を特定したのである。