おそらく、承認欲求のあらわれだ。とにかく誰かにツッコミたい。それを他人に、見られたい。鼻毛警察によるスピーディなリプは、「ホリエモンの鼻毛を見つけた俺、偉い!」という満足感を得るのが目的なのではないかと推察する。

 フォロワーの多いインフルエンサーは、鼻毛警察に従事する匿名の人たちからのクソリプを、休みなく受け続けている。僕の場合は「身だしなみチェックを無料で代行してくれるなんて、ご苦労さま」と思いスルーしているけれど、メンタルの強くない人は、精神的に参ってしまうだろう。

 現在は、誹謗中傷の投稿はプラットフォーム側での照会が可能になっている。アカウントの開示請求が認められ、訴訟も起こすことができる。僕も何件かのアカウントに厳しく対応して、金銭和解の話し合いを進めている。「クソリプ」は楽しいかもしれないが、調子に乗っていると厳罰を受ける。それだけは覚えておこう。

クソリプ返しで国語力の再教育のお手伝い

 クソリプを完全に否定しているわけではない。もちろん人格攻撃をしたり、根も葉もない妄言ばかりの、クソすぎる内容は許せないが、思ったことを臆さずに発言する前のめりの姿勢は、悪くないだろう。クソリプも一定の「ノイズ」として、僕は目を通している。自分の主義や嗜好に沿った意見ばかりを採り入れていると、視野が狭くなるからだ。ごく稀に、クソリプの中から「そんな見方もあるのか」などと省みることがある。クソリプも、ときに役立つ「不要不急」となりえるのだ。

 どんな意見だろうと、外へ向かって問いかけることで、活発な議論を生むきっかけになりうる。一番よくないのが、黙ってしまうことだ。無言でいたら、仮に優れた思考だとしても、存在しないのと同じだ。

 思ったままの言葉を、口に出していい。自粛で行動が制限される世の中になろうと、意見を好きに投げる自由は、奪われてはいないのだ。ただし、先に述べたようにクソリプの発言者は厳罰もありえる。ボロカスに叩き返される覚悟を決めておこう。他人をツッコもうとか、批判しようという発言は、勇気ある行動ではなく、れっきとした「迷惑行為」だ。しっかり、やり返されて当たり前だと、腹をくくろう。

 僕は、インフルエンサーの中では割とこまめにクソリプ返しをする。それはクソリプ側を、ボコボコにしたいからではない。ツッコみをする人たちの多くは、こちらの発信した文章が読み取れていないのだ。クソリプ返しで、過去の発言を落ちついて読み返し、少しでもマシな国語力を身につけてもらいたいと考えている。言ってみれば、SNSで「国語バカの再教育のお手伝い」をしているのだ。