山田直樹(やまだ・なおき)
海城中学⾼等学校理科副主任
1983年北海道生まれ。東京大学理学部地球惑星環境学科卒。日刊スポーツ新聞社で4年間、割り付け業務に従事した後、海城中学高等学校の理科(地学)教員となった異色の経歴。3年前から新校舎プロジェクトに参画した。
建物自体が教材になっている「サイエンスセンター」
60年前に建てられ、老朽化した旧理科棟(5号館)では実験室も不十分で、じくじたる思いをしてきた理科教員が、実現したい教育内容を語り合い、その多くを形にしたのが新理科館「サイエンスセンター」である。武蔵や駒場東邦といった難関男子校では、学校説明会のとき理科教育設備の説明に力が入る。そうした例も見ながら、2021年9月から供用が始まった床面積が1000坪を超えるこの新校舎には、ライバル校よりもさらに進化した学びの場としての仕掛けがそこかしこに潜んでいる。
――生徒さんが下校していましたが、新型コロナ禍で対面授業も大変ですね。
山田 校内で昼食を取らないよう、この2週間は午前中に40分授業を5コマ行い、ホームルームの後、午後1時半には下校させるようにしています。
――この9月から供用開始となったとはいえ、こちらの新理科館を目いっぱい活用する機会はまだ先になりそうですね。
山田 夏休み前に建物の引き渡しを受け、理科職員室も移しました。コロナ禍の影響もあって、室内の整備がまだ完全には終わっていません。いままで新理科館と呼んでいましたが、このたび正式に「サイエンスセンター」となりました。
――海城といえば、中学生が毎年論文を書く社会科の取り組みで知られていました。それが理科のために新しい校舎を造ったわけですね。
山田 私が本校の教員になるはるか前の1992年が海城にとっての改革元年で、それまでの知識重視の詰め込み型から探究型の学びへと大きくかじを切ったそうです。
旧理科館の建物は残っていますが、物理・化学・生物の実験室が1つずつと、狭い共同実験室が2つだけ、地学は間借りしていたような状態でした。高2からの文理分けでは理系に進む生徒が増えてきており、ここ2年は文系2クラスに対して理系が6クラスあります。理科の教育設備の充実が望まれていました。
創立125周年事業として構想された新校舎プロジェクトは10年前に立ち上がりました。ところが、その直後に東京オリンピックの開催が決まり、建築費高騰もあって一時中断することに。私は2018年から再開したプロジェクトから関与しましたが、理科教員の思いを理事長にもくみ取っていただき、建物自体が教材という新教室が完成しました。
以前は理科全体で1人だった助手が各科1人ずつの4人に増員され、事務作業や実験準備作業のお手伝いをお願いできるようになり、教育活動がしやすくなりました。特に高2や高3になると2時間続きの実験などもあり、助かっています。
――本校では教科ごとに職員室が設けられていますが、理科も1つの部屋になったわけですね。名札を見ると21人もいらっしゃいますね。
山田 私も含め、地学だけで3人います。地学専任の教員がいない学校も多いので、これだけ手厚い学校はそう多くないと思います。