内閣府調査、8割が「死刑支持」
近年は支持の割合が増える

 日本は、法律上、死刑制度があり、死刑を執行している「死刑存置国」だが、海外に目を転じれば、近年では死刑廃止・停止国が7割以上という圧倒的多数となっている。先進国のなかでも、日本だけ死刑制度が存続するのはいったいなぜなのか?

 2018年7月、1カ月の間に13人ものオウム事件関係の死刑囚が大量執行された際にも、ほとんど死刑制度の是非の議論が起きず、日本では廃止・停止の気配がまるでない。

 ちなみに、5年に一度、内閣府が実施している世論調査(2019年)では、「死刑もやむを得ない」が80.8%を占める。逆に「死刑は廃止すべきである」はわずか9.0%だ。

 ただしこの調査には、質問や回答の表現に問題もあって、死刑が「やむを得ない」と思うかと質問するのなら、死刑は「廃止すべき」かではなく「廃止もやむを得ない」と思うか、と聞くべきで、設問自体がフェアではない。

 とはいえこの調査によれば、死刑支持の割合は、04年の81.4%以降、4回連続で80%を超え、近年では圧倒的多数となっている。

 他の先進国とは異なり、日本では死刑制度が多くの人々から支持され、死刑制度の是非の議論もきわめて低調なことはたしかである。

 なぜなのだろうか。

死や犯罪は「ケガレ」
伝統的な意識が強固に残る

 この点でとても興味深いのは、作家の辺見庸さんの議論だ。

 辺見さんは『愛と痛み』のなかで、東京拘置所で、刑場の位置や死刑囚が立たされる場所が、丑寅(北東)つまり鬼門の位置にあり、それは「穢れが立つ場所」であって、これが「他の死刑存置国とは明らかに異なるところ」だと指摘している。

 日本では、死や病気や犯罪などが「ケガレ」とみなされる。

 このことは昨今の新型コロナウイルス禍で感染者がまず悪いことをしたかのように扱われた例があったことでもわかる。コロナという病気になること自体がケガレであるとの意識が、「世間」のなかに根強くあったからだ。

 また日本では、犯罪加害者家族が「世間」に謝罪しなければならないが、それは罪を犯した本人だけでなく家族もまたケガレとみなされるからだ。

 思うに日本は、先進国のなかでは異様に古い文物を残す唯一の国といえよう。