その理由は、以前から「透析は痛い」「時間が長い」と治療を受けるつらさをこぼしていたという。その都度、夫が女性患者をなだめる形で続けてきた。 

 また、女性患者は車イスで移動していたこともあり、透析へ行くときは、毎回、夫が送り迎えをしていた。このため、家族への配慮の気持ちなどもあったという。

 だが、透析を中止するということは、確実に死を迎えることになる。外科医は困惑しながら、女性患者は透析治療について理解が乏しいと感じて、こう説明した。

「血液透析は根治(治る)療法ではない。腎不全による死期を遠ざけているにすぎない。最も大切なのは自己意思である。今後も透析を継続して延命を図るのであれば新規アクセスの造設を行うが、透析の継続を望まないのであれば、手術の必要はない。2~3週間程度の寿命となることが予想できる。繰り返すが、どうするかの選択は本人意思である」

 この説明の理由について、外科医は「透析は根治療法でなく、対症療法であり延命治療にすぎない。患者は生涯にわたって透析を受け続ける必要があるため、本人の覚悟と理解が必要。生き方の選択の場面だから」と話している。

 その後、外科医はすぐ家族を呼んで、話し合いの場を持った。夫が来院し、看護師と医療ソーシャルワーカーが同席した。

 夫は病院での話し合いで「妻は透析をやめると、すでに決めている」と感じて、「とても説得できないと思った」と言う。実は、女性患者は、その3年前も自らの判断で透析を中断していた。このときは病状の悪化に伴い、女性患者の希望で透析を再開した。こんなできごともあり、この日、夫は仕方なく、女性患者の話に合わせて治療中止に同意した。死に至るまでには2~3週間あるとのことだったため、妻の気持ちが変わるのを待とうと思った。

 一方、外科医は、透析を実施するために必要なカテーテル手術の同意が女性患者から得られなかったため、為す術(すべ)がなくなり、透析をやめる「承諾書」を作成し、女性患者は署名した。夫妻が透析専門施設へ戻ったところ、医師から「透析をやめないほうがよい。別の病院へ行くように」と強く言われ、女性患者はパニック状態になりながら「公立福生病院で相談します」と答えた。

 透析専門施設から公立福生病院への再度の診療情報提供書には「1~2週間よく話し合って決めたほうがよい」などと書かれた。

 8月10日、公立福生病院で、今度は内科医と患者・家族で話し合ったが、妻は「透析をやめたい気持ちは変わらない。手術もしたくない」「2週間なのもわかっている」、夫も「本人がやりたくないというので、それがいいと思います」「福生でお願いします」などと同意した。

 このため、内科医はカルテに「本人と相談し、自宅療養とする。症状が出た場合、急変時は当院搬送で看取りへ」と記入した。女性患者と夫は家に帰った。この時点で、透析中止から3日たっていた。