財政支出の中身が争点になるはずだったが…

 当然のことながら、岸田自民党政権は危機的状況における躊躇(ちゅうちょ)なき財政支出、それも大規模な財政支出にかじを切り、野党・立憲民主党もそれに倣った(国民民主党やれいわ新選組は大規模な財政出動の必要性を以前から訴えてきているので、この段階で野党としてかじを切ったと言えるのは立憲民主党だけであるが)。

 そうなれば、今回の選挙の争点は、その財政支出の具体的な中身、何にどのくらいお金をつけるのかを巡る、建設的で分かりやすい論争になるはずであった。ところが、自民党など与党は、立民、共産、社民およびれいわによる野党共闘、野党統一候補の躍進を恐れたのか、「体制選択選挙」の名の下に、共産主義を選ぶのか、自由主義・資本主義を選ぶのかを最大の争点に据えることに躍起になってきた。

 たとえ野党統一候補が大量当選し、野党が躍進したとしても、政権交代につながるような地滑り的勝利となる可能性は、今回の選挙に関しては考えにくく、しかも共産党はあくまでも閣外協力を標榜しており、野党統一候補についても、共産党が候補者を降ろし、推薦に回った数が圧倒的に多い。したがって、野党が躍進しても「体制」が共産主義化するなり、共産党化するわけではない。

 自民党は、岸田総裁の下、今後の展開には不透明な部分も多いものの、「新しい資本主義」を標榜するとともに、「新自由主義からの転換」を掲げ、高市政調会長の下で取りまとめられた現実的な公約があるのであるから、それをしっかりと訴え、説明していけばよいはずなのである。

 そのためにも、争点を、コロナショック下においても緊縮財政を続けるのか、しっかりと大規模な財政出動で対応するのか、つまり積極財政に転じて対応するのか、政府の役割の極小化を続けていくのか、それとも危機的状況にも柔軟かつ十全に対応できるように政府の役割を取り戻し、体制を整えていくのかであるとすれば、極めて有利な状況になったはずである。

 当初は、衆院選の公約の一丁目一番地を多様性やジェンダーといった政策にしようとしていた立憲民主でさえ、発表自体は前後したが、大規模な財政出動による経済対策を前面に押し出してきたのであるから、自民党ならばなおさらのはずであろう。