2022年に放送される大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、舞台となる中世。実は中世では、「悪口」が厳しく取り締まられていたことをご存じでしょうか。ただ、そうした時代の中でも、「戦」の場だけは、好き勝手に悪口が言い合える場になっていたようです。今回は中世の戦の見方がちょっぴり変わるかもしれない、悪口合戦について見ていきましょう。(歴史学者 濱田浩一郎)
中世では「悪口」は流罪!?
唯一“言いたい放題”だったのは?
人間、一度は他人の悪口を言ったことがあるのではないでしょうか。「お前のかーちゃん、でべそ!」など日本人の定番(?)の悪口といわれるものも、かつてはありました。最近の少年・少女がどのような悪口を放っているか、私には分かりません。ちまたで子どものけんかや悪口の応酬を見なくなったので、もしかしたら、悪口の定番と呼ばれるものはもはやないのかもしれませんね。
それはさておき、悪口は何もわれわれ現代人だけが口にするものではありませんでした。昔の人だって、不満に思うことはあった。イラつくこともあった。そういうときには、相手に悪口を言ったのです。
私の専門とする中世にも当然、悪口はありました。悪口を禁止する法令も出ていたほどです。
例えば、武家のための法令「御成敗式目」(1232年制定)。鎌倉時代初期に制定されたこの法律の中には、「争いの元である悪口はこれを禁止する。重大な悪口は流罪とする。軽い場合でも牢に入れる。また、裁判中に相手の悪口を言った者はその者の負けとする。また、裁判の理由がないのに訴えた場合はその者の領地を没収し、領地がない場合は流罪とする」(第12条)との一文が。つまり、悪口を言ったら、最悪の場合、流罪になってしまうのです。
でも、そんな厳しい法令がある中でも、悪口を正々堂々と言える場所がありました。それが戦場です。戦場においては、武将たちが好き勝手に悪口を言い合っていたのです。もちろん敵を怒らせて負けてしまうことはあったかもしれませんが、それが理由で罰を受けることはありませんでした。
実際、皆さんが日本史の授業で学んだことのある有名な武士たちも、いろいろと悪口を言われていたようです。