『上流思考──「問題が起こる前」に解決する新しい問題解決の思考法』が刊行された。世界150万部超の『アイデアのちから』、47週NYタイムズ・ベストセラー入りの『スイッチ!』など、数々の話題作を送り出してきたヒース兄弟のダン・ヒースが、何百もの膨大な取材によって書き上げた労作だ。刊行後、全米でWSJベストセラーとなり、佐藤優氏「知恵と実用性に満ちた一冊」だと絶賛し、山口周氏「いま必要なのは『上流にある原因の根絶』だ」と評する話題の書だ。私たちは、上流で「ちょっと変えればいいだけ」のことをしていないために、毎日、下流で膨大な「ムダ作業」をくりかえしている。このような不毛な状況から抜け出すには、いったいどうすればいいのか? 話題の『上流思考』から、一部を特別掲載する。

「頭のいい人」の仕事のしかた【普通の人と何が違うか】 Photo: Adobe Stock

上流の問題解決は効果が甚大

 私たちは問題が起こっては対応するというサイクルにおちいりがちだ。トラブルを処理して、緊急事態に対処してと、次から次に起こる問題を片づけるが、問題を起こしているシステムそのものを見直すまでには至らない。

 心理療法士は薬物依存症患者の回復を促し、人材派遣業者は辞める重役の後釜を探し、小児科医は呼吸困難の子どもに吸入剤を処方する。

 こうした問題に対処できる専門家の存在はもちろんありがたいが、そもそも依存症患者が薬物に手を出さず、重役が仕事に満足し、子どもがぜんそくにならない方がずっといい。なのに、なぜ問題の防止ではなく、事後対応にばかり力を入れているのだろう

 2009年に僕はカナダのある都市の警察副本部長と話をした。僕が「上流思考」に関心を持ち始めたのは、この会話がきっかけだった。

 警察は犯罪の防止より後始末に気を取られていると、副本部長は話してくれた。「泥棒を捕まえることしか眼中にない警官が多いんですよ。『不良少年を説得しました』と言うより、『この男を逮捕しました』と言う方がずっとわかりやすいですから」

 副本部長は2人の警官の話を例に挙げた。

 1人は勤務時間の半分を使って、事故が多発する交差点に立っている。彼が存在感を放っているおかげで、ドライバーはいつもより注意を払い、衝突事故を避けることができているかもしれない。

 2人目の警官は交差点の陰に隠れて、交通違反車を取り締まっている。

 公共の安全への貢献度は1人目の方が高いのに、ほめられるのは2人目だ。努力の成果を証明する違反切符をたくさん持っているのは、2人目なのだから。

 これが、防止より対応が優先されがちな理由の1つだ。下流活動の成果は目立つし、測定しやすい。

 上流活動の成果はもどかしいほどわかりにくい。たとえば、街角に立つ警官のおかげで、ある家族がいつもより少しだけ気をつけ、事故を起こさずにすんだとする。だが家族は事故を起こさずにすんだとはまったく気づかない。警官もだ。

「何かが起こらなかった」ということをどうやって証明するのか? たとえば衝突事故の証拠を集めて、件数が減少し始めたら成功したとわかる。だが、たとえ事故防止の取り組みの有効性を確信できたとしても、誰が救われたのかを知ることはできない。ただ書類上の数字が減っているのがわかるだけだ。

 上流の成功物語は、目に見えない犯罪を防ぐ、目に見えない英雄たちが主人公の、データで書かれた物語なのだ。

頭のいい人は「根本原因」にアプローチする

 本書で言う上流活動とは、「問題を未然に防ぐための活動」や、「問題による被害を計画的に減らそうとする活動」のことだ。

 たとえば子どもに泳ぎを教えるのは、溺死を防ぐためのすばらしい上流活動だ。

 だが泳ぎの得意な人でもおぼれることはある。だから僕の考えでは、救命用の浮き輪も立派な上流技術のうちに入る。浮き輪は一見すると事後対応の道具に思えるかもしれない。

 浮き輪が必要になった時点で、もう問題は起こっているのだから。だが、もしも解決したい「問題」が溺死であれば、浮き輪は防止策になる。

 上流活動の見分け方は、「システム全体のことを考えているかどうか」がポイントになる。

 当局は溺死の危険性を認識しているから、浮き輪を購入し、緊急時にすぐ使える場所に配置する。これに対し、父親がおぼれている息子を助けようとしてプールに飛び込むのは、下流の事後対応だ(上流と下流の活動は相互に影響をおよぼし合うことが多い。父親が息子を救助したあと、プール側はおそらく事故原因を分析し、同じような事故を繰り返さないようにするために、何らかの抜本的な変革を行うだろう。下流の救命は上流の改善につながる)。

 本書では「予防」や「事前対応」といった言葉よりも、「上流」という言葉を使いたい。流れというたとえを使うことで、解決策を幅広くイメージできるからだ。

 本書の冒頭で紹介したおぼれている子どものたとえ話では、下流と上流という2つの地点を対比した。だが実際には、過去から現在に向かう時間軸上のどの時点でも介入することができる。

 言い換えれば、決まった目的地としての「上流」に向かうのではなく、方向としての上流に向かうということだ。泳ぎを教えるのは、浮き輪を用意するよりも上流だ。また、どんなときでもさらに上流に向かう方法はある。

(本稿は『上流思考──「問題が起こる前」に解決する新しい問題解決の思考法』からの抜粋です)