そもそも「資本主義」とは何か?
では、「資本主義」とは何か?
これを考えるうえで、先ごろ発売になった『変異する資本主義』(中野剛志・著)は示唆を与えてくれる。
同書で採用するのは、ジョセフ・アロイス・シュンペーターが示した「資本主義」の定義だ。シュンペーターによれば、資本主義とは以下の3つの特徴を有する産業社会を指すという。
①:物理的生産手段の私有
②:私的利益と私的損失責任
③:民間銀行による決済手段(銀行手形あるいは預金)の創造
なかでも③は資本主義の定義の中でも特に重要とされており、①と②を満たしていても③が欠けているような社会は、「商業社会」ではあっても「資本主義」ではないとシュンペーターは言う。
この「③:民間銀行による決済手段(銀行手形あるいは預金)の創造」とは、要するに民間銀行による「信用創造」(=預金通貨の創造)のことだ。周知のとおり、民間銀行は、貸出を行うことによって預金をゼロから創造することができ、この機能を「信用創造」と呼ぶ(注)。つまり、シュンペーターは、この「信用創造」という機能こそが、「資本主義」の中核を成すと見ているわけだ。
たしかに、資本主義を駆動させるのは民間企業などによる「投資」にほかならず、その「投資」の原資をゼロから創造する「信用創造」という画期的な機能が生み出されたからこそ、近代資本主義社会は成立したと言ってもいいだろう。
もしも、投資の原資を自前で用意しようとすれば、仮に年間1億円の利益剰余金を生み出している企業が、50億円の投資によって新工場を建設しようとしても、最短でも50年の時間(50億円÷1億円)を要することになる。しかし、銀行の「信用創造」によって50億円の融資を受けることができれば、即座に新工場を建設することが可能となる。
また、銀行が、信頼できる借り手に対しては、預金量にとらわれずに融資できる「信用創造」という仕組みがあるからこそ、第二次産業革命以降の莫大な資本が必要な「投資」が可能になったと言えるだろう。
このように、「信用創造」こそが、資本主義のダイナミズムを生み出してきたわけだ。
では、我が国における「信用創造」はどのような状況にあるのか?
下図のとおり、民間企業への銀行融資はこの20年以上もの間、極めて低調であった。バブル崩壊以降、日本企業は不況時に貸し剥がしされることを恐れ、自己資金だけで投資やコストを賄おうとしたのだ。
しかも、日本がデフレやディスインフレ(低インフレ)に陥ったことが、さらにこの状況に拍車をかけた。需要がない状況(モノが売れない状況)において、借金というリスクをとってまで積極的な投資に打って出る企業が減るのは当然のこと。それは、企業や家計が「経済合理性」に適った行動をとったからにほかならない。そして、その結果、「融資(=信用創造)」が低迷を続けているわけだ。
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これは、シュンペーター的に考えれば、いわば「資本主義が死んでいる」ということになろう。であれば、いまの日本において「新しい資本主義」を目指すためには、「信用創造」が活発に行われる状況を生み出し、「死んだ資本主義」を蘇らせることが大前提となるはずだ。
では、そのためにはどうすればよいのか?
ここで重要なのは、「信用創造」は大きく二つに分けられるということだ。一つは民間企業に対する「信用創造」であり、もう一つは政府に対する「信用創造」である。
そして、すでに述べたように、デフレ下においては、民間企業に対する「信用創造」は増えようがない。とすれば、政府に対する「信用創造」を増やすほかはない。つまり、国債の増発(国債の引き受け=信用創造)による積極財政に打って出るほかに、「資本主義」を蘇らせる方法はないのだ(国債発行による信用創造のプロセスはこちらの記事を参照)。積極財政によってデフレを脱却することができれば、その後は、民間企業に対する「信用創造」も積極的に行われることになるであろう。
そう考えると、「新しい資本主義」について検討するためには、その前提として「積極財政vs緊縮財政」の論争に決着をつける必要があるということになる。この議論を避けている限り、仮死状態の「資本主義」を蘇生させる道筋は見えず、その当然の帰結として「新しい資本主義」が明確な姿を現すこともないだろう。
もちろん、財政問題については別に検討する「場」が設けられている。財務省が所管する「財政制度等審議会」、自民党や政府の「税制調査会」に加え、先日には、自民党の「財政政策検討本部」も設置された。
おそらく、今後、「積極財政vs緊縮財政」の激しい論争が繰り広げられることだろうし、そこでしかるべき結論が見出されることを期待している。ただ、その議論が深まらないうちに、「新しい資本主義実現会議」の議論が急ピッチで進んでいくことに、私は違和感を覚えると言わざるを得ない。