重要な政治決定の裏側には、スパイが絡んでいる。かつての国際的な危機や紛争、国家元首の動きもすべてお見通しだった。それは単なる偶然ではない。政治指導者の力でもない。さまざまな情報を分析したスパイたちのおかげだった。イギリスの“スパイの親玉”だったともいえる人物が『イギリス諜報機関の元スパイが教える 最強の知的武装術 ――残酷な時代を乗り切る10のレッスン』を著した。スパイがどのように情報を収集し、分析し、活用しているのか? そのテクニックをかつての実例を深堀りしながら「10のレッスン」として解説している。マネジメントを含めた大所高所の視点を持ち合わせている点も魅力だ。本書から、その一部を特別公開する。

【イギリスの元スパイが説く】情報を武器にすればリスクはチャンスに変えられるPhoto: Adobe Stock

情報を武器にすればリスクはチャンスに変えられる

何世紀にもわたって、軍人たちは情報がもたらす強みを自然と学んできた。各国の政府は現在、より良い意思決定をするために、情報を集めて分析する専門家を擁している。

イギリスの秘密情報部(MI6)は海外に工作員を派遣しているし、情報局保安部(MI5)は法執行機関とともに国内の脅威を調べ、不審な者を監視する。政府通信本部(GCHQ)は情報を傍受し、電子情報を収集する。軍部も衛星やドローンからの写真撮影による情報収集を含め、海外活動において情報収集をする。

こうして集められた情報をとりまとめ、意思決定者が知らない領域を減らすために評価をするのが、スパイとも呼ばれる情報分析官だ。何が起こっているのかを理解し、その背景を説明し、今後どのように発展するかを予測するのが情報分析官の仕事である。

どのような決断に迫られているかを理解できれば、意思決定から逃げたり、誤った選択をしたり、心底驚いたりすることは少なくなる。必要な情報の多くは、誰もが利用できる情報源から得られる。しかし、それを重要な論拠とするには、十分な注意が必要だ。

意思決定者が知らない領域を減らすとは、単純化をすることではない。諜報機関による評価によって、考えているより事態が複雑であること、敵対するのが恐るべき相手であり、状況が悪化する可能性があると伝えられることもよくある。だが、知らないよりも知っておいたほうがいい。問題に対して目を曇らせれば、不適切で、ときには破滅的な決定をすることにつながるからだ。

独裁者・テロリスト・犯罪者など、脅威となる人物の秘密を盗むのも情報分析官の仕事だ。

情報源となる人間やテクノロジーを使って、個人的な通信や会話を傍受する。そのため情報分析官は、市民に対する危害を減らすという事情を鑑みて、日常に適用されるものとは異なる倫理基準に従って活動することが許される。

独裁国家はそうした配慮もせず、目的を達成するためなら法律や倫理など無関係に、必要なことをするよう情報分析官に促しているかもしれない。民主主義国家がそういったことをすれば、政府と諜報機関に対する信頼が失われる。そのため諜報活動は、必要性と妥当性を維持するべく、国内法によって注意深く規制される。

ただし、本書は他人を監視する方法を教えるものでも、それをすすめるものでもないというのは、ここではっきりと言っておきたい。

私が伝えたいのは、情報分析官の考え方が役に立つということだ。本書は理路整然とした考え方をするための案内書であり、悪しき行為の手引き書ではない。

ここで言う理路整然とは、無感情で冷徹な計算高さとは違う。イギリスを代表する19世紀の詩人ジョン・キーツは、不確実・混乱・疑念につながるとしても、芸術的な美を追求していくことができる能力を「ネガティブ・ケイパビリティ」(消極的受容力=解なき事態に耐え抜く力)という言葉で表現した。

情報分析官は、状況が不透明なときや不安に負けそうなとき、型にはまった、あるいはどんなことにも当てはまるわかりきった見通しを押しつけるのではなく、未知の事態に対する苦痛や混乱を耐えることができる能力を持たなければならない。

深く鋭い観察をするためには、科学的で証拠にもとづいた手法を身につけることが不可欠である。一方で先入観にとらわれず、「ネガティブ・ケイパビリティ」を働かせることも重要になる。

情報分析官は先を見通そうとはするものの、予言はしない。どれだけ正確に予測をしたとしても、予想外のことは常に起こるからだ。イギリスの競馬障害レース「グランドナショナル」やアメリカの自動車レース「インディ500」の勝者を前もって知ることはできない。

人気の馬やレーサーが必ずしも勝つとは限らない。私たちを落胆させる出来事が重なることもあるのだ。

大事なのは、情報を活用して有利な立場を確保すれば、リスクをチャンスに変えられるということだ。

デビッド・オマンド(David Omand)
英ケンブリッジ大学を卒業後、国内外の情報収集・暗号解読を担う諜報機関であるイギリスの政府通信本部(GCHQ)に勤務、国防省を経て、GCHQ長官、内務省事務次官を務める。内閣府では事務次官や首相に助言する初代内閣安全保障・情報調整官(日本の内閣危機管理監に相当)、情報機関を監督する合同情報委員会(JIC)の委員・議長の要職を歴任したスパイマスター。『イギリス諜報機関の元スパイが教える 最強の知的武装術 ――残酷な時代を乗り切る10のレッスン』を刊行。